2018年6月30日土曜日

6月30日



観測史上初
6月中に梅雨が明けてしまった関東

週間天気予報を見ると
毎日毎日  1週間後は
いつまでたっても最高気温30度

もう下がらないんだ
上がる一方なのか

暑いから嫌だとヤイヤイ言っても
真夏に向かってるんだから
気温よ下がれ〜
とか祈ってみても
下がるわけはなく
受け入れるしかない


ケンチャンのボケボケも
私のアホも
父のレビーも
受け入れるしかない

自然の一部とはいえ人間は
知恵を使うことができるけど
ただただ受け入れるしかないこともある


レビーの症状に
寝てる間に叫んだり暴れる
というのがあるけど
母が数年前から
「パパは寝ながら戦ってるのよ〜〜」
と言っていたのを思い出す

今も良く  寝てる間
手を大きく動かしたり
普通にしゃべったりしてるけど
こないだ見に行った時は
とても楽しそうに笑っていた

はにかみ笑顔から
にっこり笑顔になり
なにやらとても楽しそうだった


先日インターネットで調べていたら
幻視を無理になくそうとすることに
執着しない方が良いと書いてあった

明日はサイクル的には
幻視100%の予報

さてどんな日になるのか
明日こそアツイ1日を
楽しんでみるか


2018年6月29日金曜日

6月29日



生きてる環境が騒がしいからこそ
こころの中は静かでいたい

父との限りある時間を
後から何度も思い出すような
大切な時間として
静かに積み上げていけたらいいね
とお友達がメッセージをくれて
忘れてた私のいろんなことに対する
根っこになってる部分を
生きる目的を
思い出させてくれた

地面の下に張り巡らされている
根っこがすごく大事だってことを
枝や葉に気が取られて
すぐに忘れてしまうんだ


今日は大好きな気分転換の歯医者さんの日

口の中で繰り広げられる
解放への過程を想像しながら
今日はなんだか疲れてて眠くて
ひたすらぼーーーっと
ウインウインとか
ゴリゴリ言ってる音を聞いていた

これじゃあないよな
私の目指してるところは

ぼーーーっとしてるのではない
本当のこころの静けさ


2018年6月28日木曜日

6月28日



今日は満月

父の後見人になるべく
公証役場で打ち合わせ

何を言われているのか
ちんぷんかんぷんだったけど
やさしい公証人さんで
まあどうにかなりそうだ


階段の手すりも今日付いて
一安心

ゆっくりだけど
ひとつひとつ
どうにかなってきている


昨日羽目を外した父は
昨日のことは忘れちゃったようで
寝ても寝ても疲れが取れない
ごはんを食べても力が出ない
とぼやく

ひたすら眠り続ける3日間の後
幻視100%の日が1日あって
また3日間眠り続ける

普通にごきげんの日が
なくなってしまった

父の症状もちょっとずつ
前に進んでいるのかな


未来のことは
本当にわからない

希望もそんなに持てないし

ただ  後悔しないように
毎日思いつくことをやってみる

いろんなことに執着してとらわれて
もうなにがなんだか
良くわからなくなってしまったので
一度リセットしてみてる今

褒めてもらった地頭を信じて
自分を信じることだけは
努力してみよう


2018年6月27日水曜日

6月27日



今日は双子の片割れのような友達が
連れ出してくれて遊んできた

野菜の市場に行ったり
ケーキを食べながら話し込んだり
月の光が映る海を見ながら
ドライブをしたりして
とても楽しい午後だった


8時頃家に着いて玄関のドアを開けたら
玄関に父とケンチャンがいて驚く

父はリュックサックを持って
出かけようと靴を履いている

誰かが迎えに来てくれるんだと言って
玄関を出たり入ったり

しびれを切らして外に出て
近所の家の車に乗ろうとする

自分の足が悪いのを忘れて
スタスタ歩いて行こうとする

「パパも徘徊か〜」と言ったら
「これは徘徊じゃないよ」と言う


今日は強い風がビュービュー吹いて
こころもからだも重たかったからか
いや  それは口実で
やっぱりそういうのは
まだまだ慣れないな



いつまでも外を見てるので
歩いていくのだけ気をつけつつ
放っておいたら少しして戻ってきた

友達がいつも父のために作ってくれる
ケーキを食べると言う

私のごはんをほとんどおいしいと言わない父が
友達のケーキはすごくおいしい!と言う

ケーキを食べたら満足したのか
部屋に戻っていった


こころを清らかにすることに
全身全霊を注いでいる最中の
双子の片割れのケーキは
今日も威力を発揮した

父に毎回効果があるのを見る限り
その威力は確実と思える

やっぱり作る人のこころは
食べ物に現れるんだな

修行が進んでいる片割れに
今日もたくさん助けられた1日


2018年6月26日火曜日

6月26日



先日山に帰った大きな目的のひとつ
梅の収穫

うちには大きな梅の木があり
とてもおいしい梅干しができる
(自分で漬けたことはない)

今年は玄米百姓園夫妻が
採りに来てくれた


ところが今年は
ほんの少ししか実が生っていなかった

久しぶりに会ったけど
挨拶が苦手なので
ふたりが着いたら
梅が生ってないのを謝ってごまかした


ぽつぽつとまばらに生った梅だけど
ふたりにかかったら
どんなに高いところでも
取りにくいところでも
ひとつ残らず採ってくれて
合計6キロになっていたそう

せめて5キロは持って帰ってほしい。。
と思っていたのでホッとした


ケンチャンが作ったランチを食べて
タイムリーにカメラのことを教わったり
いつもいろんな影響を与えてくれて
離れてても近くにいてくれる友達

もう当分山の家には住めないし
パン屋さんも閉めてしまったけど
山で暮らした短い日々の収穫は
大事な人達との出会い

数は少ないかもしれないけど
ずっしりとして尊い

梅で例えるなら
一粒1キロくらいかな


2018年6月25日月曜日

6月25日



未知の世界に足を踏み入れて
手探りで前に進んで行くので
安心したいけどできなくて
いろんな感情が湧き上がってきて
アップアップすることがある

ネガティビティがすごいので
自分に困り果てて
あれもこれもやっちゃだめ  と
抑制しようとするとしんどい

自分にやっちゃだめなことばかり課してると
ついついひとにも課したくなってくる
しんどいぐるぐるを
自分で生み出してることになる


そこで
やっちゃだめなことは
横に置いておいて
やっていいことの方に意識を向けてみた

やっちゃだめなことで
頭がパンパンだった
それが自分を苦しめていることも
ようくわかったので
けっこう簡単に切り替わった

楽になった


まだ先は長いぞ

どれだけ楽する方法を
見つけられるかな


2018年6月24日日曜日

6月24日



山の家を離れてから半年の間に
なんだかんだでもう2回
山の家に帰ってる

村にはうちの母と同い歳な上に
とても尊敬するお母さんがいて
毎回会いに行く

そのお母さんは
いつも縁の下の力持ちに徹しているので
宴会などには出てこないし
出たとしても終わった後に来て
せっせと片付けをしているような人

だからこちらから会いに行きたくなる
私の村のお母さん
そして83歳になるご主人は
私のこころの恋人
(相思相愛)


先日帰った時も早速会いに行くと
お庭に小さくてかわいらしい
お母さんのお母さんが立っていた

母と同い年のお母さんのお母さんは
今年100歳だというのに
99歳までひとりで暮らしていた

お母さんのご主人のお母さんを
お母さんは105歳まで介護していたので
お母さんのお母さんは
きっと娘に負担をかけないように
ひとりでがんばっていたのだと思う


おばあちゃんは
100歳だというのに
まだしっかり自分の足で歩いて
ちょっと耳が遠いとはいうものの
話題を投げかければ
ポンと帰ってくる

普通に話せることに
すごく感動した

言葉も物腰もとても謙虚で
すごいなあと思った

ひ孫をかわいがってらっしゃる場面を
見せてもらったことがあるけど
今年は玄孫に会えるという

私はもう  ただただ
すごいことだなあと
一緒にいて  お話しできるだけで
感動してしまうので
今回はお母さんに会いに行ったら
おばあちゃんにも会えて
村の入り口のお地蔵さんみたいに
拝みたいような気持ちになった



父は母の話をあんまりしないのだけど
今日は昼寝から起きたら
お母さんが来てるよ!と言うので
どこどこ!?と父の指差す方に行って
おかあちゃーん!と抱きしめてみた

うれしそうにほほえむ父

母は時々父に会いに来てるので
父は寂しくないんだな
と思った


2018年6月23日土曜日

6月23日



今日の2時から4時の間に
家から立ち退かされると  父

いつまでたっても  頭から
立ち退き妄想が出て行ってくれない

昨日までの3日間
眠り病のように眠り続けていたのに
今日は朝からそわそわ

しっかり着替えて
ケンチャンと私にも
大事な物をまとめて
出ていく準備をしろと言う

タイミング良く
父のお仕事のパートナーさんが
来てくださると言うので
現実に引き戻しつつ
上手い具合にはぐらかすことができた


今はまだ  山の家はリフォーム中で
とてもとても父を連れて行ける状態じゃないけど
本人は  立ち退かされて
引っ越さないといけないと思っているので
それなら山の家に住めば良いんだよ!と
すきあらば洗脳している


片道最低6時間はかかると聞いて
初めて見るような
ギョッとした顔をして面白かった

長野の父のお姉さんのところも良いな
と勝手に思っている

長野なら4、5時間くらいかな

あくまでも勝手に
田舎移住妄想をして楽しんでいる


2018年6月22日金曜日

6月22日



山の家には夜遅くに着いた

家の下には  川が流れていて
この時期には蛍が飛ぶ

帰った夜も
1匹だけだけど飛んでいた


ご近所のHOVELで
焚火料理で夜ごはんをしてもらった

HOVELの近くには
川が流れていて
村では蛍がたくさん見られる名所

ごはんを食べてる間も
焚火に寄って来るように
蛍が近づいてきた


おなかがいっぱいになったら
川まで降りて見に行こう!ということになり
おじいちゃん達を残して
若いのだけで蛍を見に行った

あ  おばあちゃんもひとり
一緒に降りた

おばあちゃんは
今までで一番たくさんの蛍を見たと
その数にびっくりしていた


梅雨の合間の空には
星がたくさん出ていて
星と蛍がつながって
どっちが空でどっちが地上だか
頭が混乱する瞬間があった

あの時あの場所にいられたことは
なんというかすごく
花丸印をもらったような
懐かしい感じのする
うれしいことだった


2018年6月21日木曜日

6月21日



ケンチャンと私が
山の家に帰ってる間
弟家族に一緒にいてもらった父

幻視モード100%で
子供達と一緒に遊んだり
ひとりで外に出て転んだり
いろいろアクティブだったようで
戻ったら寝込んでいた


戻って早々  私の顔を見て
やっぱり家が差し押さえられて
出て行かなきゃならない  と

じゃあ  京都に家があるんだから
京都に住めば良いんだよ!と言うと
もっと良い方法がある  と

美穂が相手の家に嫁げば良いんだ
それが一番良い方法だ  と

ケンチャンはどうするの?と聞くと
ケンチャンには諦めてもらおう  と


なんてぞぞっとする話だ
何時代の話だよ
と思っていたら

昔から父は
戦国時代みたいなことを言う  と
弟が言っていた

そうか  戦国時代なのか


2018年6月20日水曜日

6月20日



4ヶ月ぶりに
山の家に帰った

短い時間の中で出会えた
親愛なるその人達は
すごい人ばかりで

みんな力強く
励ましてくれるのだった

励ましの力が
そのすごさを
表しているのだ

悲しみや苦しみや
恐怖を乗り越えて
光に向かっている人の励ましは
静かで温かで力強いのだった


私の麻痺して
感覚が鈍くなったこころに
忘れていた感覚を
思い出させてくれるのだった

自分を守るために
閉じていた蓋が
存在していること自体を
思い出させてくれるのだった

今蓋を閉じたことは
きっと間違っていない
でもやっぱりその中には
大事な感覚があることを
みんなが教えてくれるのだった


やっぱり私は
自然の中で暮らしたいと思った

みんながうらやましかった

でも  ねたましくなかった

みんなが私の
憧れの的になった


みんなのように力強く
励ませる人になれるために
今があるのだとしたら
それを確認しに行ったかのよう
本当に帰れて良かった

明日からググッと前進するぞ

ややこしいのをひとつ
いやふたつ
やっつけてやるんだ


2018年6月16日土曜日

6月16日



寒い一日

みんなでぐったり

父は一食も食べずに眠り続ける

このご時世
断食療法があったり
不食の人もいるくらいだから
あまり心配せずそのまま寝かせておくと
次の日には自発的に
食べなきゃ!となる

水分はたくさん摂ってほしいけど
あんまり飲んでくれないのは悩み


昨日  おばちゃんの話を
たくさん聞かせてもらったのだけど
おばちゃんはケチらしく
暑い夏にクーラーもつけず
飲み物をケチって飲まないでいたら
熱中症で泡を吹いて
倒れていた時があったって

認知症の人は
水分は不可欠らしいし
夏を乗り切るためにも
水分をたくさん摂ってもらう策を練らねば


明日から弟家族が来てくれて
父と一緒にいてくれる

たまには私のパターンから外れてみたら
弟達の普通の中から
より良いアイデアが出てくるかもしれない

なんとなく期待しつつ
久しぶりの山の家での二日間を
思いっきり楽しんでこよう


2018年6月15日金曜日

6月15日



今日はケンチャンに
幻視モード100%の父を任せて
父が後見人をしている
東京のおばちゃんに会いに行ってきた

おばちゃんに会うというか
おばちゃんをお世話してくださっている
ご近所さんに会ってきた

姉妹でヘルパーさんをされていて
こころからおばちゃんを想ってくれている
本当にありがたい存在だ

父のことも含め
ゆっくり話ができて
本当に安心させてもらった


おばちゃんにも
30年ぶりくらいに会った

元気でかわいい
認知症のおばあちゃんになっていたおばちゃんは
ご近所さんいわく
いつもと全然違って
私が来たのを喜んでくれていたそう

私のこと
一瞬思い出しては
次の瞬間忘れているようで
目まぐるしく移り変わっていた

それでもなんだかお互い
知ってる仲の安心感があった

次来る時は
泊まっていきなと言ってくれた


父がお世話できなくなってしまった今
おばちゃんのことは
父のことよりややこしい

イメージだけでなく
これはほんとにややこしい

離れて見ているうちは
かわいいと思えるから
この距離はキープし続けなければ


帰ったら父は
ケンチャンに相手してもらってご機嫌

明日の朝は寒くなるよ
と言ったら
部屋にたくさん人が来てるから
あったかいよ  だと

やっぱり幻視や妄想は
否定しちゃいけないんだと
プロの姉妹が言ってたので
幸せそうな父を見守っていることにした


2018年6月14日木曜日

6月14日



今日は朝は普通に話せた父が
夜にはすっぽりと
幻視の世界に入っていくという
移り変わりを見た1日


結局まだ
家が売れちゃったので
出て行かなきゃいけない
と思い込んでいるので
そしたらみんなで京都に帰れば良いだけだし
お金なんてなくても生きていけるよ!
パパはケンチャンと私が守るから!
と  もう説明するのはやめて
私流に乗ってみた

ありがとうと言って
その後普通に話したのに
20分後に夜ごはんを持っていったら
パジャマから洋服に着替えていた

どこかに行くの?と聞いたら
わからない  と
自分でもなぜ着替えたのか
わからない様子

言ってることも訳がわからず
いつもの幻視モードの父に変わってた


認知症の人の不思議な行動には
必ず理由があるらしい

それを理解するのが
仲良くやっていく秘訣

父の理由をわかってあげたい


それにしても
昼間に階段の手すりの見積もりに
来てくれたお姉さんと
うれしそうに話してたときは
普通だったのにな

仕事人間だった父でも
若くてかわいい女の子と
お話しするのは楽しいんだな
と思ったけど


2018年6月13日水曜日

6月13日



頭がパンパンの感覚が
通り過ぎていくと
なんだかスッキリして
行動を始めてみると
意外とややこしくないことが
わかってくる

もしかしたら
全然ややこしくないかもしれないのに
拒否反応した途端に
嫌悪の感覚が湧き上がってきて
ただでさえ働かない脳の
動きを止めてしまう

ストレスが
ゴーーッと音を立てるように
からだに満ちていくよう

本当はそんなにややこしくないのに

あれもこれも嫌だと
どうしていつの間にかこんなに
わがまま放題のこころを
育ててしまったんだろう


ゆっくり自分を見つめる時間

まともなところなんて
全然見えて来ないけど
欠陥が見つからないと
修理できないのだから
解体して  分解してから
またつくり直すんだ

なんでも直しちゃう
あのひとやあのひとみたいに



リハビリを嫌がると思ってた父も
意外と乗り気

家族以外の人達と触れ合って
褒めてもらったり
やさしくしてもらったりして
良い気分の時間が増えたら良いな


2018年6月12日火曜日

6月12日



前向きに過ごしたいけど
自分の置かれてる状況が見えてきたら
いろいろややこしく
頭が拒否反応
胸はムカムカしてくる

実務的なことは本当に苦手
漂うように生きていたいのに
漂ってもいられなくなってきた

嫌がってると
疲れてしまうので
とりあえずひとつひとつ
片付けていくしかないんだな
やることは同じなんだもの


ある人が
ダメな自分も
そのまんま受け入れたら良いんだよ
と言っているけど
それも努力をする必要があるんだよな

まず  自分が自分を
ダメだと思ってることに
ビビッと気づき
嫌だな  と思う前に
ダメでも良いんだ
と思う方向に自分を持っていくのは
これまたなかなか筋肉を使う

この筋肉が鍛えられてないと
すんなり受け入れるって風には
ならないよなー
そんなに簡単じゃないよな
と思う

コツコツ心がけて成せる技だと思う
こころを楽にして生きるには
やっぱりコツコツは
欠かせないのかな


今日は頭がパンパンになったので
コツコツから逃げるようにして
映画を観に行かせてもらった

終わり方が切な過ぎて
胸がパンパンになってしまった


2018年6月11日月曜日

6月11日



昨日  脳梗塞の心配から
解放された父は
朝からご機嫌
7時には  朝ごはんを食べる
と起きてきた

床屋に行きたいと言うので
2週間もお風呂に入ってないのに
床屋さんがかわいそうだ!
と拒否したら
お風呂にも入ってくれた

そこで力尽き
こんこんと眠り続ける

私もくたくたで
2回も昼寝した

ケンチャンも
昼まで起きて来なかった


昨日みたいな日が
週に一度あるくらいで
のんびりした毎日

先のことは
一切わからないけど
こころの中は
たとえ荒波でも逆らって
もっともっと静かでいられるようでありたい

ケンチャンがいるだけで安心
父はお茶目に笑っているし
みんなで力を合わせれば大丈夫

穏やかな未来に向かって
前進するのみ


6月10日



そう  匂いがしていたんだ

救急病院から帰ってきて
夜ごはんが食べれたのは
ついさっきの11時

先に言っておくと
何の異常もなかったんだけど
脳梗塞だから病院に行くと言い出して
妄想の中の病院へ2回
(どこにあるのかわからずたどり着けず)
現実の病院へ1回
今日は父とケンチャンと3人で
病院デーになった


幻視のインド人のお医者さんが
父が脳梗塞だと言いやがったらしいんだけど
一生懸命話しかけてる相手は
ソファーに置いてあるクッションで

丁寧に  ちゃんとわかってもらえるように
それはクッションだよ
と説明したら
本当だ  おかしいね
とそのときはわかってくれたけど


クッションに話しかけ続ける父を見て
傷つくこころをごまかすのはやめておこう

父は  本当に認知症になってしまったんだな

悲しい


でも  悲しさも極まると
笑けてくる

笑える余地は  ちゃんとある

悲しさは笑いに変えて生きていくんだ

お笑いのスキルを高めるチャンスにするんだ


2018年6月9日土曜日

6月9日



なんにもない
静かな日

ちょっとだけ掃除したら
もう達成感で良い気分

お昼ごはんを食べたら
眠たくなって
昼寝した

ケンチャンが水汲みから帰ってきて
バトンタッチで散歩に行って

夜ごはんを食べて
テレビの映画を観て
あとは寝るだけの一日


平和な日は
しっかり平和を味わっておこう

これからやって来るであろう
高波を想定しつつ
休めるときに
しっかり休んでおこう

なんか  もうすでに
潮の匂いがする気がするけど
気のせいかな
フンフン


2018年6月8日金曜日

6月8日



長野にいる父の姉のおばちゃんは
とってもやさしい人だ

父のこと
ケンチャンと私のことまで
いつもいつも気にかけてくれて
おいしいものと共に
やさしさを届けてくれる


もうずいぶん会ってないけど
電話の声が変わらないし
田舎で自然と共に生活しているし
父よりずっと健康でお元気だけど
もうおばあちゃんなんだろうな

そんなおばちゃんが
父の顔が見たいと
田舎から会いに来ようと計画を練っている

想像しただけで
切ない気持ちになる

姉弟が会うには
おばちゃんが来てくれるしか
もう方法がないのかな


自分が後悔しないように
行動するのと同時に
自分以外の関係のある人達が
後悔しないでいられるように
その人達のことも考えて行動するのも
大事なことなんだな

そのためには
その人達が
多少無理をしたとしても
ちゃんと父と向き合えるように
お手伝いすることも
私の役目なのかもしれない


2018年6月7日木曜日

6月7日



今日は家族のようなお友達が来てくれた

父もかわいがっている人なので
すっかりリラックスして
ハチャメチャな妄想の話を
会話の中にはさみまくってくる

お友達も普通に笑って聞いてくれる

父にとっては
自分をさらけ出せる人がいて
うれしいんだと思う

これからもそうやって
こころを許せる人が
増えていったらいいなと思う


今日  介護保険証が届いたので
散歩コースの延長線上にある
母がお世話になっていた施設の
ケアマネージャーさんに報告に行ったら
早速明日には階段に手すりをつけるために
下見に来てくれることになった

これから
足のリハビリをしたり
ショートステイを活用したり
父が楽しんでくれて
活用できたらいいな
と思っている

今日来てくれたお友達のように
父がこころを開ける人と
これから出会っていけたらいいな



因みにここのところずっと父が懸念していた
家を競売にかけられて
手放さなきゃいけなくなった
という妄想が
今日ピークを迎えたようで
相手が退散すると言ってきた
とのこと

相手に
「お前はかっこ悪いけど  一番スマートだ」
と褒められた  と喜んでいた

幻視の人達とは
なんだかんだでいつも楽しそうだから
現実でもきっとうまくいくだろう


2018年6月6日水曜日

6月6日



今日は本当だったら
カルナー3周年の日だった

とりあえず3年  が目標だったカルナーは
2年半で終わってしまったけど
あのまま走り続けてたら
私が病気で倒れていたかも
と思ったりする

お店だけが理由ではなく
両親のことでもう既に
実家への行き来も頻繁になっていたし

必死で走ってたから
もう自分の状況とか
見えなくなっていたな  と
振り返ると思う

なかなか過酷な2年半だった
ケンチャンも私も


今の状況は
辛いことは確かにたくさんあるけど
悪いことばかりでは決してなくて
父のおかげで
父の健康管理の延長で
自分達の健康管理もできたり
不自由だからこそ  当たり前のことが
すごくありがたく感じられるようになったり
良いこともたくさんある

本当に先が見えなくて
いつかまたパンを焼くのかも
もうわからなくなってしまったけど
これでいいのだ
と思える3周年
ケンチャンの誕生日になった


久しぶりにご馳走を作って
ケンチャンの誕生日のお祝いをした

それも走ってた時には
全然できていなかったな

ケンチャンが好きな
イワシのお刺身も並べたら
父の「今日の良かったこと」は
久しぶりにイワシを食べた
になった


2018年6月5日火曜日

6月5日



弟家族が来てくれたので
帰ってきたケンチャンと
久しぶりにふたりで出かけさせてもらった

貧乏性なので出かけたついでに
ついついいろんな用事を
済ませようとしてしまうので
今日はそういうことはやめて
ただ気分転換をしに出かけてみた


かと言って
どこに行ったら良いのか
離れていた期間が長く
全然思い浮かばない

とりあえず
パンを焼き始めた頃
丹沢に水を汲みに行っていたので
久しぶりに行ってみることにした


久しぶりの山の中
見えるのはひたすらに緑色
こころとからだに染み込んだ

緑の中で
湿度の高い空気の中を歩いていると
こころとからだが
ずいぶん乾いていたことに気がついた

鎌倉に戻ってからの半年間は
除湿ばっかりで
加湿が全然追いついていなかった

山を降りる頃には
だいぶ潤った感じがした


2週間後にも
役場の用事で
山の家に帰る予定になっていて
また弟家族が父と一緒にいてくれる

出かけられることは
なんてありがたいこと

感謝感謝
特に義妹ちゃんに大感謝


2018年6月3日日曜日

6月3日



今日は朝から
めっちゃショッキングな
まさにニュースが飛び込んできて
悶々とした気持ちで過ごしてしまった

気分転換に
どこかに出かけたかったけど
それも叶わず
こんな時
足が不自由だった母は
こんな気持ちでも  どこへも行けず
ずっと家で耐えていたのかな
と思ったので
全然辛さをわかってあげられてなかったな
おかーちゃん  ごめん
と呟いた

でも  私は
おかーちゃんと同じようにはならないよ
とも呟いた

そんなこと
母はちっとも望んでないだろうし

でも
母の辛さをわかってあげられなかった分
父の辛さをわかってあげられるように
心がけるね
とも呟いた


ちょうどそのバッドニュースが届いた時
元気で幸せそうな友達からもメールが来た

元気で幸せでいてくれることが
お日様みたいに照らしてくれて
まさに救われた

元気で幸せな人は
その存在だけで
充分誰かを助けるんだなと思った


2018年6月2日土曜日

6月2日



そう言えば
ケンチャンはまた2週間ほど留守にしていて
明後日くらいに帰ってくる

ケンチャンがいない生活は不安もあるけど
そうも言ってられないので慣れてきて
父が寝てるタイミングを見計らって
いつもこっそり散歩に出かける

まだバレたことはない


散歩をしながら
写真を撮るのが楽しい

ポツポツ歩きながらテキトウに撮ってたら
撮りたいものが定まってきた

おうちばかりの散歩道だけど
あるのに見えてなかった自然が見えてくる

ただ歩いてただけでは
見えていなかったものが見えてきて
小さな自然と目が合って
モデルがキラリと光るタイミングを
今だっっとキャッチして
イイネ〜となる

人の顔を撮る人の写真には
撮る人にしか見せない表情
が写っているみたいに
目が合った小さな自然と
特別な会話を交わしてるみたいで
後から撮った写真を見ていても
思い出をたどってるみたいで楽しい


ケンチャンが帰ってきたら
パソコンをつないでもらって
大きな画面で
早く見たいな


2018年6月1日金曜日

6月1日



昨日の夜からウロウロしていた父

朝は起きてこないな
と思って見に行ってみたら
洋服に着替えていて
出かけると言い張る

わ!徘徊か!と思い
ドキドキしてきた

ひとまずごはんを食べるように促して
どこに行こうとしてるのか聞いてみる

聞かれてるうちに
自分がどこかに行こうとしてることが
おかしいと気づいてくれた父

間髪入れずにドバッと
ラベンダーの精油を振りかけたら
落ち着いてきて
ソファーに座って動かなくなった


ホッとして
歯医者に行ってくるよ
と言うと
また出かけると言うので
じゃあ絶対転ばないでね
とお願いして
意を決して置いて出た

もう心配しないことにしたから

あと
自分を犠牲にしないことにした


介護に正解がないのなら
介護の心得だけ勉強して心得て
あとは父だけに焦点を当てて
父ならではの介護を研究したらいい

どんどん変化していくのだろうけど

その都度やり方も変えていけばいい

自分が納得のいく結果なんて別にないし
だって父の人生だから


歯医者から戻ったら
父はソファーに座っていた

出かけなかったよ
と報告してくれた

「今日の良かったこと」は
寝てないわりに元気でいられたこと
と言っていた

今日も無事で  本当に良かった