2019年10月28日月曜日

10月28日



昨日の朝父は
みんなが集まってから
途切れ途切れだった呼吸を
さらにゆっくりにして
最後に開いてた目も口も
きゅっと閉めて
喉仏をストンと落として
呼吸を止めた

最後の一息まで
生き切った

父に育ててもらった
家族全員で見送った

母と同じ
27日の早朝だった




途中 これで良かったのかと
苦しい日々もあったけど
父の最後と今の穏やかな顔を見ていると
良かったんだよと
言ってくれてるんだと
勝手な解釈しても
父は許してくれるように思う



明日はお通夜

弟にバトンを渡して
私はぼんやりさせてもらうつもり






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月26日土曜日

10月26日



父はがんばっている

こころの整理ができないひとが
ちゃんと受け入れられるまで
待っているかのように


でも最後のひとりも
そろそろ覚悟してくれたと思う

だって
もう父のからだはボロボロだし
血圧は40代まで下がっているし
もう採血の血液も採れない
呼吸も弱くなってきた

それでも
看護師さんもビックリの
タフさを見せてくれている


もうがんばらなくて良いよ
と話しかけてるけど

やっぱりいつ終わりが来るかなんて
自分にも誰にも
決められないしわからない
未知のことなんだと
父を見ていて
実感している

ただ
鉄人と呼ばれた男は
鉄人らしさを
最後まで発揮するのだな







母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月24日木曜日

10月24日



父はがんばっている

山場なんてなんのそので

からだの中にある
全てを燃やして
生き抜いている

眉間に寄っていたしわも取れて
少しだけ目を開けて
穏やかな顔で
ただただ大きく早く
呼吸をしている



ざわざわとしていた山場は通り過ぎ
また父とケンチャンと私だけの夜は
超夜型人間のケンチャンが本領を発揮して
私は安心してたくさん眠ることができた

今日は看護師さんが
点滴をしに来てくれるだけの
静かな一日


今の父はもう
山を登ったり降りたりはしない

ただただ静かに
全てを燃やし尽くすまで
生きるんだ






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月22日火曜日

10月22日



父の姉のおばちゃんは
たくさん悩んだそうだけど
娘たちに背中を押され
上のお姉ちゃんに連れられて
長野から遥々
父に会いに来てくれた

とても陽気なおばちゃんとお姉ちゃんは
終始明るく笑っていて
ヘルパーさんや看護師さんのやることを見て
勉強になるわーと感心し
父に会えてほんとうに良かったと喜んで
こちらもとてもありがたかった

一晩父の部屋で一緒に寝てくれて
私も安心して熟睡できた



父の肺炎は
また少し落ち着いたようで
表情が穏やかになってきてホッとする

でも血圧は徐々に下がってきて
今夜が山場 という言葉が
我が家にも聞こえてくるときが来た


看護師さん曰く
聴覚は最後まで残るという

父に伝えたいことを
しっかり伝えておかなくちゃ

おばちゃんとお姉ちゃんが帰って
ケンチャンは寝ていて
弟たちがこちらに向かってる間に
私は父にたくさん話しかけて
たくさん抱きしめた

からだに父の体温の記憶を刻み込んだ
母の記憶と同じように


一方的にもう大満足

あとは他のひとたちに
父との時間を
しっかり味わってもらえるように
私はひっそり見ていよう






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月21日月曜日

10月21日



父の呼吸が
また苦しそうになってきてしまった

体力が落ちているので
菌に勝てないみたいだ

往診の先生が
少しでも楽になるようにと
抗生剤の点滴を延長してくださった

ほんとうに肺炎はどうにか
良くなってもらいたい



往診の先生は
先の予定を立てて
希望を捨てず
父に寄り添ってくれている

訪問看護師さんは
いつ何があっても良いように
家族に寄り添ってくれている

ヘルパーさんは
父と触れ合う時間を過ごした分だけ
私と同じ目線から父を見てくれる

そうやって私は
もし父の最後に
父とふたりだけだったとしても
安心していられる気持ちに
させてもらっている


とはいえ
これから長野から
父の姉と姪が来てくれる

いつも父を想ってくれている
おばちゃんと姪っ子に元気をもらって
肺炎菌を吹き飛ばしてもらいたい






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月20日日曜日

10月20日




昨日は父の意識が
戻らないと書いてしまったけど
やっぱりひとのからだとは
波のようになっているようで
今日は良く目が開いている

目を開けてるときに呼びかけると
やはり生まれたばかりの赤ちゃんのように
何かがどこかから聞こえてくるぞ
というような表情でこちらを見る

もう目もほとんど合わないし
返事はないけれど
きっと聞こえてるだろうと
あーだこーだと話しかけている



昔は植物人間とか言って
もう意識はないと思われていたけど
今は 本人はちゃんとわかっている と
認識が変わってきている

意識はあるのだけど
からだが動かせず表現できないので
こちらからは反応が見えない
ということになるようだ

父は認知症でもあるし
今脳みそがどのように機能しているか
全然わからないけれど
なんとなーく反応してるようだったり
看護師さんやヘルパーさんに
協力しているような動きを見せる


私たちがいつもいる居間の方に
首も曲がってきてしまった

音が聞こえたり
気配を感じたら
やっぱりその方向を向いてしまうよね

でもそのまま曲がってしまったら困るので
一生懸命真っすぐに戻すのだけど
ぐいぐいとまたこちらを向いて
きっと私たちの話を聞いている






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月19日土曜日

10月19日




父の肺炎が回復してきたようで
熱も下がり
呼吸が穏やかになってきた

もうあまり苦しくなさそうで
寝息を立てて眠っているよう


でももう
時々目を開けたり
少し手を動かすくらいで
意識が戻ってくることはなくなった

昨日の血液検査の結果では
腎不全の状態で
意識障害も起こしているとのこと

もう 肺炎だけが原因で
朦朧としているのではないようだ



台風一過で転がるように今に至り
最後まで家にいること
父が本当に望んだのかは
確認できなかったけど

認知症になってからも
「もう癌になっても治療はしないよ」
と言っていた父の言葉が残っていて
往診の先生や訪問看護師さんや
ヘルパーさんに助けてもらって
ずっと家にいられることになったことを
父も喜んでいてくれると願う


いつも幻視で
「インド人のお医者さんが来てる」とか
「今日手術したんだ」とか言ってたので
苦しいときには
病室にいると思ってくれて
そうじゃないときは
家にいられてホッとする と
無意識でも
都合の良い感じで
思っていてくれたらいいな


これからは
父が安心していられることに
ただただこころを尽くしたい

ほんとうに
ただ側にいるだけだけど






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月18日金曜日

10月18日




台風で振り落とされた
青いどんぐりたち

もう少し高いところから
景色を見ていたかったろうなあ



台風の低気圧に揺れ動かされたのか
父は高熱を出し 肺炎になり
もうほんとうに何も口に入れなくなり
点滴の毎日

意識も朦朧としていて
どんなに話しかけても
返事が返ってこなくなった


認知症になってから
弟の息子の反抗期の2歳児と
まるで同じようだったのだけど
今は生まれて間もない赤ちゃんみたいな目で
うろうろと宙を見つめ
手を動かしている

これでおっぱいを飲んでくれたら良いのだけど
どちらかというと逆方向で
羊水の中でへその緒から栄養をもらってる
赤ちゃんに戻り
これから魂が宿ったときみたいに
からだを離れて魂そのものに戻っていく


医療は進んでいるから
もしかしたらまた元気になるかもしれないけど
私には
確実に魂に戻ろうとしているように見える

それでもやっぱり頭で考えると
どんぐりの気持ちもひとの命も
ほんとうに未知






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月14日月曜日

10月14日




台風の動向を
ずっとテレビで観ていた

実家の近辺は大したことなかったし
箱根の弟家族もどうにか無事だったけど
広い範囲で大変なことになっている

自分だったらと思うと
胸がギュッとなる



長野の田舎の近くを流れる
千曲川周辺も大変な被害

母の弟のおじちゃんちは
決壊した場所から3キロほどだそうだ

小さい頃
いとこと漫画を立ち読みしに行った
飯山駅周辺も床上浸水しているよう

来週に予定しているお墓参り
行けるのかどうかまだわからないな



父も台風上陸と共にぐったりと眠り込み
今日もまだろくに食べれず飲めず

被災地にもたくさんの
弱っているひとたちがいるのだろうな

規模が大きいし
なかなか状況が落ち着くまで
時間がかかると思うけど
少しでも早く 被災したひとたちが
安心して生活できるように
なりますように






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月12日土曜日

10月12日




昨日は村のこころの恋人夫妻から
栗が届いた

おおーーきくて立派!
うれしくて電話してみたら
元気なお母さんの声が聞けて
うれしさ2倍だった


台風が来てるので
非常食になるけど
栗の調理をしてる余裕がない。。
とかなると後悔しそうなので
今日はゆとりの栗おこわを炊いた

山盛り2杯食べて大満足
もう何があっても大丈夫◯?



こんなお天気では
父もぐったりと大人しくしている

ほんとうなら今日は
アクティブになりそうな日なのだけど
こういうときはありがたい

ここはまだ雨も少ないし
風も時々ブワッと吹くくらい

これからそんなにすごいのが来るとは
あんまりピンと来ないけど
一応ごはんをたくさん炊いて
お風呂に水を溜めて
ぐらぐらのポストは外しておいた

ケンチャンはサヴァイヴ能力が高いので余裕

父は事態に気づいてないし
気づかれないまま
過ぎ去ってくれたらいいな






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月10日木曜日

10月10日




スーパーで
柿詰め放題500円てのをやってたので
品のある程度にほどほどに詰めて
リュックにしょって帰ってきた

柿はやわらかくなると
なめらかでトロンとしてるので
父の朝ごはんに最適だ

なかなか水分を摂ってくれないので
あとはジューシーな食べ物で
勝負するしかないな



週末台風がやってくるので
スーパーに買い出しに行くも
いろいろ買い占められていて
オムツもちょうど良いのがなかった

ヘルパーさんも
あんまり台風がひどい場合は
来れないのだろうなと思っていたら
けろっとした顔で
来ますよ と言う

うちなんかはどうにでもなるけど
ひとり暮らしのひととか
自分でごはんを食べれない
どうやってでも行かなきゃならない
命に関わるひとたちが待っている

災害レベルの悪天候でも
なんとしてでも行くのだと

そしてそんな日は
家に帰れないなんてことも
良くあることらしい

すごい仕事だな
ほんとうにすごい






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月6日日曜日

10月6日




もう10月だってのに
昨日はノースリーブでちょうど良かった

今日はこの秋初の長袖
やっと秋らしい空気になった

でもまだ油断できないのかな
太陽が出たなら
未だ夏のように
ギラギラしてるのかも



父は生きたそうで
でも食べたくなくて
飲みたくなくて
苦しそうに葛藤している

こころとからだは繋がってるというけど
生きたいから食べれるとか
そううまい具合に単純ではないんだな

むしろすごく繊細で複雑だよな
健康に生きるって
ロープの上を歩いてるかのようで
不摂生なんてしようもんなら
とてもグラグラ不安定に揺れ始める

次の日目が覚めたら
もう昨日には戻れないことに
愕然としなきゃいけない日が来る可能性も
いくらでも考えられる


食べたいものを食べれるって
すごく幸せなことなんだな
と感じながら
おやつにどら焼きと
ホッケの干物を焼いて食べた

おいしかった〜〜






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月4日金曜日

10月4日




山からふるさと便が届いた


栗がたーーーくさん

ミョウガもたくさん
ナスもオクラもいんげんも

草木染めの手ぬぐいに
かわいらしいお手紙
家族総出で詰め込んでくれた
あったかい気持ち

栗ごはんのいいにおいが
炊く前から漂ってくる

うれしさの余韻も
しばらく続きそう



カルナーだった山の家は
氣まぐれ屋 という名に変わって
これからいろいろ楽しいことが
繰り広げられていきそうな
気配も漂い始めている







母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月1日火曜日

10月1日




昨日は4ヶ月ぶりに
東京の父の叔母に会いに行ってきた

覚えてるのかどうか
全然わからないけど
私の手を握って
喜んでくれたおばちゃん

今までで一番
コミュニケーションが取れて
とってもうれしかったし
お世話をしてくださっているみなさんが
それをすごく喜んでくれていたのが
ありがたかった

おばちゃんの認知症も
ちゃくちゃくと進行しているようだけど
前より感謝の言葉が増えていて
こころも安定しているようだった


そして実家に戻ると
父の方は超ハイパーデイ

朝からドカーンと転倒
でもケロッとしてたので
気にせず出かけてしまったけど
その後もケンチャンが目が離せず
ついて回る羽目になった
一日だったそう

2階に上っていき貧血を起こし
おんぶして降ろしてもらったり
そしてまた懲りずに2階へ上り
今度は自力で降りてくるのを
見守ってもらって

誰かを探していたようで
外にも出てしまってすり傷作ったり

ずっと寝ていた先週がうそだったかのように
丸一日うろうろしまくった



ハイパーな日は
きっとからだが軽いんだろうな

こころもハイになっちゃって
なんでもできるような気分に
なっちゃうんだろうな

たまにはそんな日も味わいたいよな


そして今日は切なくもまた
振り出しに戻って眠り続けている