2019年11月1日金曜日

11月1日




良かったこと



父のお骨が立派だし
全部自分の歯だったので
火葬場の骨係の方が
褒めてくれたこと


父と私を乗せた霊柩車が
海岸線を通って
海と青空を見せてくれたこと


葬儀で父の会社のひとたちが
みなさんで泣いてくれていたこと


雪のない季節だったので
親戚がみんなで長野から来てくれたこと


葬儀屋さんも
父と仲良しだったヘルパーさんも
私と同じ宮本さんで
親近感と安心感が湧いたこと


ケアマネージャーさんが選んでくれた
往診の先生達も訪問看護師さん達も
ヘルパーさん達も
ほんとうに素敵な人ばかりだったこと


そしてそのケアマネージャーさんが
まさに完璧だったこと


家族が最後まで仲良く
父を想っていられたこと


死んだ後のことは
どうなるのかわからないなと思ってたけど
もし天国があって
母が待っていたのだとしたら
父が母に早速会えたことは
すごく良かったことかもしれない

ちょっと早過ぎたと思うけど
仲の良い夫婦だったから
今一緒にいるのだと思えば
あの世の世界があるってのは
なかなか素敵な話だなあと思う




母が亡くなって
ぴったり一年半で
父と娘の日々は終わり

これでこのブログも終わりにします

今日まで読んでくださったみなさま
ほんとうにありがとうございました

辛いとき
いろいろぼやくこともあったけど
読んでくださる方がいると思うと
ブログを書くことで
こころが前向きになり
大きな助けになりました

ほんとうにありがとうございました


2019年10月28日月曜日

10月28日



昨日の朝父は
みんなが集まってから
途切れ途切れだった呼吸を
さらにゆっくりにして
最後に開いてた目も口も
きゅっと閉めて
喉仏をストンと落として
呼吸を止めた

最後の一息まで
生き切った

父に育ててもらった
家族全員で見送った

母と同じ
27日の早朝だった




途中 これで良かったのかと
苦しい日々もあったけど
父の最後と今の穏やかな顔を見ていると
良かったんだよと
言ってくれてるんだと
勝手な解釈しても
父は許してくれるように思う



明日はお通夜

弟にバトンを渡して
私はぼんやりさせてもらうつもり






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月26日土曜日

10月26日



父はがんばっている

こころの整理ができないひとが
ちゃんと受け入れられるまで
待っているかのように


でも最後のひとりも
そろそろ覚悟してくれたと思う

だって
もう父のからだはボロボロだし
血圧は40代まで下がっているし
もう採血の血液も採れない
呼吸も弱くなってきた

それでも
看護師さんもビックリの
タフさを見せてくれている


もうがんばらなくて良いよ
と話しかけてるけど

やっぱりいつ終わりが来るかなんて
自分にも誰にも
決められないしわからない
未知のことなんだと
父を見ていて
実感している

ただ
鉄人と呼ばれた男は
鉄人らしさを
最後まで発揮するのだな







母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月24日木曜日

10月24日



父はがんばっている

山場なんてなんのそので

からだの中にある
全てを燃やして
生き抜いている

眉間に寄っていたしわも取れて
少しだけ目を開けて
穏やかな顔で
ただただ大きく早く
呼吸をしている



ざわざわとしていた山場は通り過ぎ
また父とケンチャンと私だけの夜は
超夜型人間のケンチャンが本領を発揮して
私は安心してたくさん眠ることができた

今日は看護師さんが
点滴をしに来てくれるだけの
静かな一日


今の父はもう
山を登ったり降りたりはしない

ただただ静かに
全てを燃やし尽くすまで
生きるんだ






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月22日火曜日

10月22日



父の姉のおばちゃんは
たくさん悩んだそうだけど
娘たちに背中を押され
上のお姉ちゃんに連れられて
長野から遥々
父に会いに来てくれた

とても陽気なおばちゃんとお姉ちゃんは
終始明るく笑っていて
ヘルパーさんや看護師さんのやることを見て
勉強になるわーと感心し
父に会えてほんとうに良かったと喜んで
こちらもとてもありがたかった

一晩父の部屋で一緒に寝てくれて
私も安心して熟睡できた



父の肺炎は
また少し落ち着いたようで
表情が穏やかになってきてホッとする

でも血圧は徐々に下がってきて
今夜が山場 という言葉が
我が家にも聞こえてくるときが来た


看護師さん曰く
聴覚は最後まで残るという

父に伝えたいことを
しっかり伝えておかなくちゃ

おばちゃんとお姉ちゃんが帰って
ケンチャンは寝ていて
弟たちがこちらに向かってる間に
私は父にたくさん話しかけて
たくさん抱きしめた

からだに父の体温の記憶を刻み込んだ
母の記憶と同じように


一方的にもう大満足

あとは他のひとたちに
父との時間を
しっかり味わってもらえるように
私はひっそり見ていよう






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月21日月曜日

10月21日



父の呼吸が
また苦しそうになってきてしまった

体力が落ちているので
菌に勝てないみたいだ

往診の先生が
少しでも楽になるようにと
抗生剤の点滴を延長してくださった

ほんとうに肺炎はどうにか
良くなってもらいたい



往診の先生は
先の予定を立てて
希望を捨てず
父に寄り添ってくれている

訪問看護師さんは
いつ何があっても良いように
家族に寄り添ってくれている

ヘルパーさんは
父と触れ合う時間を過ごした分だけ
私と同じ目線から父を見てくれる

そうやって私は
もし父の最後に
父とふたりだけだったとしても
安心していられる気持ちに
させてもらっている


とはいえ
これから長野から
父の姉と姪が来てくれる

いつも父を想ってくれている
おばちゃんと姪っ子に元気をもらって
肺炎菌を吹き飛ばしてもらいたい






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月20日日曜日

10月20日




昨日は父の意識が
戻らないと書いてしまったけど
やっぱりひとのからだとは
波のようになっているようで
今日は良く目が開いている

目を開けてるときに呼びかけると
やはり生まれたばかりの赤ちゃんのように
何かがどこかから聞こえてくるぞ
というような表情でこちらを見る

もう目もほとんど合わないし
返事はないけれど
きっと聞こえてるだろうと
あーだこーだと話しかけている



昔は植物人間とか言って
もう意識はないと思われていたけど
今は 本人はちゃんとわかっている と
認識が変わってきている

意識はあるのだけど
からだが動かせず表現できないので
こちらからは反応が見えない
ということになるようだ

父は認知症でもあるし
今脳みそがどのように機能しているか
全然わからないけれど
なんとなーく反応してるようだったり
看護師さんやヘルパーさんに
協力しているような動きを見せる


私たちがいつもいる居間の方に
首も曲がってきてしまった

音が聞こえたり
気配を感じたら
やっぱりその方向を向いてしまうよね

でもそのまま曲がってしまったら困るので
一生懸命真っすぐに戻すのだけど
ぐいぐいとまたこちらを向いて
きっと私たちの話を聞いている






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月19日土曜日

10月19日




父の肺炎が回復してきたようで
熱も下がり
呼吸が穏やかになってきた

もうあまり苦しくなさそうで
寝息を立てて眠っているよう


でももう
時々目を開けたり
少し手を動かすくらいで
意識が戻ってくることはなくなった

昨日の血液検査の結果では
腎不全の状態で
意識障害も起こしているとのこと

もう 肺炎だけが原因で
朦朧としているのではないようだ



台風一過で転がるように今に至り
最後まで家にいること
父が本当に望んだのかは
確認できなかったけど

認知症になってからも
「もう癌になっても治療はしないよ」
と言っていた父の言葉が残っていて
往診の先生や訪問看護師さんや
ヘルパーさんに助けてもらって
ずっと家にいられることになったことを
父も喜んでいてくれると願う


いつも幻視で
「インド人のお医者さんが来てる」とか
「今日手術したんだ」とか言ってたので
苦しいときには
病室にいると思ってくれて
そうじゃないときは
家にいられてホッとする と
無意識でも
都合の良い感じで
思っていてくれたらいいな


これからは
父が安心していられることに
ただただこころを尽くしたい

ほんとうに
ただ側にいるだけだけど






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月18日金曜日

10月18日




台風で振り落とされた
青いどんぐりたち

もう少し高いところから
景色を見ていたかったろうなあ



台風の低気圧に揺れ動かされたのか
父は高熱を出し 肺炎になり
もうほんとうに何も口に入れなくなり
点滴の毎日

意識も朦朧としていて
どんなに話しかけても
返事が返ってこなくなった


認知症になってから
弟の息子の反抗期の2歳児と
まるで同じようだったのだけど
今は生まれて間もない赤ちゃんみたいな目で
うろうろと宙を見つめ
手を動かしている

これでおっぱいを飲んでくれたら良いのだけど
どちらかというと逆方向で
羊水の中でへその緒から栄養をもらってる
赤ちゃんに戻り
これから魂が宿ったときみたいに
からだを離れて魂そのものに戻っていく


医療は進んでいるから
もしかしたらまた元気になるかもしれないけど
私には
確実に魂に戻ろうとしているように見える

それでもやっぱり頭で考えると
どんぐりの気持ちもひとの命も
ほんとうに未知






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月14日月曜日

10月14日




台風の動向を
ずっとテレビで観ていた

実家の近辺は大したことなかったし
箱根の弟家族もどうにか無事だったけど
広い範囲で大変なことになっている

自分だったらと思うと
胸がギュッとなる



長野の田舎の近くを流れる
千曲川周辺も大変な被害

母の弟のおじちゃんちは
決壊した場所から3キロほどだそうだ

小さい頃
いとこと漫画を立ち読みしに行った
飯山駅周辺も床上浸水しているよう

来週に予定しているお墓参り
行けるのかどうかまだわからないな



父も台風上陸と共にぐったりと眠り込み
今日もまだろくに食べれず飲めず

被災地にもたくさんの
弱っているひとたちがいるのだろうな

規模が大きいし
なかなか状況が落ち着くまで
時間がかかると思うけど
少しでも早く 被災したひとたちが
安心して生活できるように
なりますように






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月12日土曜日

10月12日




昨日は村のこころの恋人夫妻から
栗が届いた

おおーーきくて立派!
うれしくて電話してみたら
元気なお母さんの声が聞けて
うれしさ2倍だった


台風が来てるので
非常食になるけど
栗の調理をしてる余裕がない。。
とかなると後悔しそうなので
今日はゆとりの栗おこわを炊いた

山盛り2杯食べて大満足
もう何があっても大丈夫◯?



こんなお天気では
父もぐったりと大人しくしている

ほんとうなら今日は
アクティブになりそうな日なのだけど
こういうときはありがたい

ここはまだ雨も少ないし
風も時々ブワッと吹くくらい

これからそんなにすごいのが来るとは
あんまりピンと来ないけど
一応ごはんをたくさん炊いて
お風呂に水を溜めて
ぐらぐらのポストは外しておいた

ケンチャンはサヴァイヴ能力が高いので余裕

父は事態に気づいてないし
気づかれないまま
過ぎ去ってくれたらいいな






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月10日木曜日

10月10日




スーパーで
柿詰め放題500円てのをやってたので
品のある程度にほどほどに詰めて
リュックにしょって帰ってきた

柿はやわらかくなると
なめらかでトロンとしてるので
父の朝ごはんに最適だ

なかなか水分を摂ってくれないので
あとはジューシーな食べ物で
勝負するしかないな



週末台風がやってくるので
スーパーに買い出しに行くも
いろいろ買い占められていて
オムツもちょうど良いのがなかった

ヘルパーさんも
あんまり台風がひどい場合は
来れないのだろうなと思っていたら
けろっとした顔で
来ますよ と言う

うちなんかはどうにでもなるけど
ひとり暮らしのひととか
自分でごはんを食べれない
どうやってでも行かなきゃならない
命に関わるひとたちが待っている

災害レベルの悪天候でも
なんとしてでも行くのだと

そしてそんな日は
家に帰れないなんてことも
良くあることらしい

すごい仕事だな
ほんとうにすごい






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月6日日曜日

10月6日




もう10月だってのに
昨日はノースリーブでちょうど良かった

今日はこの秋初の長袖
やっと秋らしい空気になった

でもまだ油断できないのかな
太陽が出たなら
未だ夏のように
ギラギラしてるのかも



父は生きたそうで
でも食べたくなくて
飲みたくなくて
苦しそうに葛藤している

こころとからだは繋がってるというけど
生きたいから食べれるとか
そううまい具合に単純ではないんだな

むしろすごく繊細で複雑だよな
健康に生きるって
ロープの上を歩いてるかのようで
不摂生なんてしようもんなら
とてもグラグラ不安定に揺れ始める

次の日目が覚めたら
もう昨日には戻れないことに
愕然としなきゃいけない日が来る可能性も
いくらでも考えられる


食べたいものを食べれるって
すごく幸せなことなんだな
と感じながら
おやつにどら焼きと
ホッケの干物を焼いて食べた

おいしかった〜〜






母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月4日金曜日

10月4日




山からふるさと便が届いた


栗がたーーーくさん

ミョウガもたくさん
ナスもオクラもいんげんも

草木染めの手ぬぐいに
かわいらしいお手紙
家族総出で詰め込んでくれた
あったかい気持ち

栗ごはんのいいにおいが
炊く前から漂ってくる

うれしさの余韻も
しばらく続きそう



カルナーだった山の家は
氣まぐれ屋 という名に変わって
これからいろいろ楽しいことが
繰り広げられていきそうな
気配も漂い始めている







母の最後の2ヶ月半の日々も→

2019年10月1日火曜日

10月1日




昨日は4ヶ月ぶりに
東京の父の叔母に会いに行ってきた

覚えてるのかどうか
全然わからないけど
私の手を握って
喜んでくれたおばちゃん

今までで一番
コミュニケーションが取れて
とってもうれしかったし
お世話をしてくださっているみなさんが
それをすごく喜んでくれていたのが
ありがたかった

おばちゃんの認知症も
ちゃくちゃくと進行しているようだけど
前より感謝の言葉が増えていて
こころも安定しているようだった


そして実家に戻ると
父の方は超ハイパーデイ

朝からドカーンと転倒
でもケロッとしてたので
気にせず出かけてしまったけど
その後もケンチャンが目が離せず
ついて回る羽目になった
一日だったそう

2階に上っていき貧血を起こし
おんぶして降ろしてもらったり
そしてまた懲りずに2階へ上り
今度は自力で降りてくるのを
見守ってもらって

誰かを探していたようで
外にも出てしまってすり傷作ったり

ずっと寝ていた先週がうそだったかのように
丸一日うろうろしまくった



ハイパーな日は
きっとからだが軽いんだろうな

こころもハイになっちゃって
なんでもできるような気分に
なっちゃうんだろうな

たまにはそんな日も味わいたいよな


そして今日は切なくもまた
振り出しに戻って眠り続けている


2019年9月27日金曜日

9月27日




今日は往診の日

前回から2週間が経ち
パーキンソンの薬の効果が出ているらしく
効果が出ているということは
パーキンソンの疑いがあるということで
特定疾患の申請をしていただくことになった


申請が通ると
医療費控除を受けられるので
今後安心して
いろいろな医療行為を
受けることができるらしい

例えば訪問看護のことも
今は介護保険で来てもらってるけど
医療保険に切り替えられるそうで
そうなるとその分の介護保険の点数が残るので
ヘルパーさんの利用を増やすこともできるらしい

そうなると訪問入浴やショートステイも
より利用しやすくなるらしい


レビー小体型認知症だけだと
特定疾患にならないので
対象にならないそうだけど
パーキンソンと診断されることで
申請できることになった

良かったのかどうかわからないけど
ひとまずお金の面では
安心できることになりありがたい


からだの面では
今日の父の血圧は
上が50代でみんなでビックリ
あんまり安心できないことがわかった

最近ヘルパーさんのおかげで
お風呂の気持ち良さを思い出してきていたのに
またしばらくお預けになっちゃうかもな


2019年9月26日木曜日

9月26日




10月は母のお墓参りに行きたい
でも弟は仕事をがんばってるので
代わりに父を見てもらえない
とのことで
父のショートステイを試みてみることに

今日は施設の方が
父の様子を見に来てくださった


今回の周期では
もう5日目だというのに
まだ幻視が出てこない父

一番ハイパーな日を見たいとのことで
来ていただいたのに
全然ハイパーじゃなく
ちゃんと座って笑顔で出迎えていた


しかし 父のご機嫌とは裏腹に
ありのままの父の状態を伝えると
難しそうな表情の職員さん

幻視モードのときにウロウロすることと
眠り込んでるときにごはんが食べれないことは
ショートステイにはネックになるようで
すんなりオッケーが出なかった


そうだよな
ひとりひとりに対応するのに
人数分の職員さんがいるのではないから
団体行動ができないと難しい

父の毎日は 全くのマイペースで
調和できたら逆にびっくりだよな

環境が変わって
父がどんな反応するのかは
全く想像できないしな


想像できないけど
ケアマネージャーさんもヘルパーさんも
「お父さんは大丈夫です」と
押してくれたのがうれしかった

あとは野となれ山となれ


2019年9月24日火曜日

9月24日




昨日は28年ぶりの吉祥寺
友達のお母さんの個展へ

お母さんに会うのも20年ぶり

私のパン人生は
その友達とお母さんと私で
3人でパンを焼くことから始まった



パステル画を描くお母さん
娘も絵描きで
いつもパンのメニューを描いてくれていた

3人でそれぞれ焼いたパンを
6個入りパックにして
一時は70人に配達していた

全くもってイリーガルだったけど
もう時効だろう
楽しかったな


いつもの私の気まぐれで
スパッとやめてしまったのだけど
結局私だけがその後もパンを焼き続けた

その友達が
パン作りの楽しさを教えてくれたおかげで
私は21年間も天職を全うできた

昨日3人で
その頃のことを話していたら
またそんなお仕事は
誰かに勧められて促されて
自然と授かるかもしれないな
と ふと思った


私の脳みそだけで考えるには
限界がある

可能性は無限だけど

75歳のお母さんも
たくさんの絵を飾り
1週間限定のお母さんワールドの中で
キラキラ光ってた


2019年9月19日木曜日

9月19日




怒りに翻弄されて
もう嫌だ!!!と投げ出したくなっても
数日経てばすっかり忘れて
また仲良くいられる親子だったことは
とてもありがたいこと

父が認知症だから
なおさらそういられるのもあるだろうけど
先日私の怒りが大爆発したとき
父はその場をおさめようと
一生懸命私と握手をしようとしてきた

握手なんかしてごまかすんじゃねーー!
と そのときは逆効果だったけど
思い起こせばあんなときに
握手をしようとする父は
病気なのが不思議なくらい
冷静なんだなあと思った


でもやっぱり父は病気だから
しょっちゅう暴言を吐くので
びっくりさせられる日々だけど
時々見せてくれる父の本来の姿を
しっかりキャッチして
病気の父に埋もれさせないように

現実では限りがあっても
私のこころの中にはずっと
忘れないで持っていたい

そして現実ではしっかり病気なのだと
割り切って付き合えるようになりたい


はあ〜〜 肉親てのは
線引きが難しいんだよ〜〜


2019年9月17日火曜日

9月17日




昨日は久しぶりに父とドンパチ

父は食べ物が食べられないのを
私のせいにする

それをずっとやられてると
ほんとうに自分のせいなような
気になってくる

私のミスチョイスが原因で
父は痩せこけてきているような
そんな錯覚を始めるようになる

父が死ぬときには
「みほがろくなものを作ってくれなかった」
と恨みながら死んでいくのかな
と極端なアイデアが浮かんできたりする



ここのところ毎日
父が何を食べれるのか
根詰めて考えていた

もう普通のごはんはほぼ食べないので
買ってきたミルクプリンを
食べてくれたのを見てホッとする

父は甘酸っぱいのが好きなので
友達が送ってくれたジャムを
かけてみる?と聞くとうなずくので
スプーン一杯ほどかけたら
もりもり食べた

完食できたね◯と喜んでいると
いきなり怒り出した
「あんなにジャムを入れたからだ」
と珍しく恐い顔をして怒った

父は嚥下が難しくなってきているので
きっとプリンも必死で食べていた
必死で食べて苦しかったので
食べ終えて苦しさを私にぶちまけた

私はその苦しさをしっかり受け取り
自分の日々の苦悩もモリモリ乗せて
30倍にしてお返しした



また私はがんばり過ぎていた
そして このお勤めは
全く向いていないことに気がついた

向いてないことで成果を得ようなんて
もう望まずにいよう

それは全然
悲しいことなんかじゃないよ


2019年9月16日月曜日

9月16日




父は相変わらず
あんまり食べないし飲まないけど
少しずつ元気になってきてるようで
夜な夜な活動する日が
2日続くようになってきた

今日もそんな明けで
ちょうどお風呂に入れてもらって
あとはぐっすり眠るだけだ


いつもお風呂に入れてくださる方は
ベテランさんで
こないだは新米さんを連れてきて
父の状態を説明してくれていた

頻繁に来てくださるとはいえ
毎日ではないし
他にもたくさんのひとを
受け持っているだろうに
あまりにも完璧に把握してくださっていて
私はそのやりとりを聞いていて
ほんとうにうれしかった


ずっと心細かったので
そういう存在を待っていた

心細かった日々が
今となっては懐かしい


2019年9月12日木曜日

9月12日




まだ台風の被害で
停電しているところもあるようで

今日は涼しくなったけど
まだまだ暑いのに

うちだって停電が続いたら
父は熱中症になってしまうかもな
と想像したりすると
被害にあった地域の大変さが
身近なものになる



うちは昨日から弟家族が来ていて
子供達が3人で大騒ぎ

そこにヘルパーさんもケアマネージャーさんも
介護用具の担当者さんも来て
父はお風呂に入れてもらい
家の中をたくさんのひとたちがぐるぐる

弟家族は先程帰って
台風が去った後のような気持ちになったけど
そんなのんきなこと言ってられないな


とはいえ
普段の静けさが戻った後に
父も眠り込み始めて
こころからホッとできている今

やっぱり静かに穏やかに
暮らしたいものだ

被災地にも早く
ホッとできる日常が戻りますように


2019年9月9日月曜日

9月9日




台風一過で家の周りは葉っぱだらけ

掃き掃除とついでに草取りをしていたら
お向かいさんが出てきたので
話しかけてみた

実はちゃんと話すのは初めて

高校生の頃
この家に引っ越してきてから
30年経って初めてだ


お向かいさんは小さな庭にいつもいて
庭の中をくるくるしながら
庭いっぱいに畑をしていたり
梅干しを干したりもしていて
何か自分と近いものを感じていた

若い頃は 特に何も感じなかったけど
両親が倒れてここに帰ってきてから
ずっと気になる存在だった

今日はやっと
おしゃべりするチャンスが来た
街なんてそんなものだ



台風で畑の野菜が落ちなかったか聞いてみたら
やっぱり落ちてしまったと
でも大丈夫だと言った

落ちたからといって嘆いてないところも
フムフム そういうの良いな
と手応えを感じつつ
いろいろお互いのことを話していたら
どんどん話題は膨らんでいった

知らなかっただけで
同じような気持ちを抱いて生きている
お向かいさんだったことを知れて
ここに今住んでいることが
とてもうれしく思えた


鎌倉にいるのに
山の家の村にもうひとり
大好きなおばちゃんが増えた
みたいな繋がってる感覚

今度ゆっくり畑を見せてもらうことになった

顔を見るとにっこりしたくなるひとが
近くにいてくれるのは
やっぱり幸せなことだな


2019年9月8日日曜日

9月8日




昔 ディズニーランドが大好きで
毎月のように行ってた時期が
一年くらいあったな

なんであんなに好きだったのか
今ではさっぱりわからない

そういうことって
けっこうある



振り返って見ると
一緒にいるひとや環境に
びっくりするくらい影響を受けていたりする

特に私は
影響を受けやすい人間だと思う

でももうそういうのは
やめようと思っている

ダサくてもサムくても
ショーモなくても良いから
自分の気持ちに素直でいようと思う

誰かにどう思われるとかより
自分が納得してることが大事
そもそもアホなんだから
もう悪あがきはやめるんだ



そして どうしてこんなに誰かに
知ってもらいたいんだろうと
不思議に思うことがある

きっとこれにも理由がある

知ってもらうより先に
自分が納得してることが大事
自分で自分のことを
ちゃんと認めるってことをしよう


2019年9月6日金曜日

9月6日




米粉のおやつ
そろそろ始まりそうかしら

おいしいおやつを
心待ちにしてるひとたち
私も含め
たくさんいることだろう

かぼちゃのマフィンなんて
何が何でも食べたい




今日はすごく暑かった

台風もやってくるし

この辺りは今時期野菜が採れないらしく
その上台風が来ると塩害もあって
良く行く八百屋さんが心配していた

野菜や果物や穀物が採れなくて
買えなくなっちゃったら
すごく困るな


食物は
作ってもらってるのだし
おむつは替えてもらってるのだと
忘れてはいけない

どちらもいつでも
お金さえあればどうにかなるものではない

じゃあ自分でやろうかっていっても
誰にとっても簡単にできることではない


農家さんもヘルパーさんもKarunaさんも
感謝に値する大いなる存在


2019年9月5日木曜日

9月5日




ほんとだったら9時間寝たいと
私のからだは訴えてくる

今日は久しぶりに
9時間寝れてスッキリ


高台にある実家は
買い物に行くのにどこを通っても
急坂とか階段を登らないと帰れない

この夏は暑くて
毎日アイスを食べたくなるし
父が死にそう疑惑が晴れて
どっと疲れが出て夏バテ発症
どの道も歩きたくなくて
車で買い物に出てたけど

今日は涼しかったし
久しぶりに階段の道を通って
買い物をしてきたけど
息切れせずに登ることができた

これは9時間寝たからだな
と実感した


父は最近 毎日朝夕30分ずつ
しっかり起こしてもらって
食べたり飲んだりするし
前のように丸一日とか
眠り込むことがなくなってきた

それでもヘルパーさんや
看護師さんが来る時間以外は
ひたすら眠り続けるのは変わらない

幻視モードで起きてるときは
疲れて寝たくても
幻視に邪魔されて寝れないようで
そこもひっくるめて見てる家族としては
眠れるときは寝かせておいてあげたいと
思ってしまう

それが水分不足と栄養不足の
要因にもなっているのだから
難しいところだけど


寝てるひとを起こすのは
不思議とすごく苦手だな

逆に
寝てるときに起こされるのも
すごく不愉快だし

でもみんながそうなわけでは
なさそうだしな

やっぱり三大欲求の話題は
なかなかデリケートなものだ


2019年9月4日水曜日

9月4日




この夏は
葉山の海岸を歩く機会が重なった

小学生から20代は
鵠沼とか鎌倉の海で遊んだもんだけど
もうそんなエネルギーはない

葉山の渋さとのんびり具合が
今の自分にはしっくり来る

一昨日も友達と特にしゃべらず
延々と歩いたのが心地良かった



車に戻って 心地良かったわ〜と
思っていたら間もなく
友達の携帯にケンチャンから電話で
また父が倒れたとのこと

一瞬意識を失ったけど
すぐに戻ったとのことで
まあ大丈夫そうだった


ヘルパーさんの好意と
父のやる気と血圧が一致しなかったようで
歩く練習の途中で崩れ落ちてしまった

家族が思う父の不可能が
ヘルパーさんには大いに可能で
家族が知るやる気のない父は
ヘルパーさんから見ると
やる気のあるおじいちゃんだそうで
そのギャップを埋めていくのに
ちょっとした無理を強いられることは
やむを得ないのだろうと思う

父は大変だけど
相手にほんとうの父の状況を
知ってもらわないといけないし
がんばったら少しずつ
またできることが増えてくる
かも
かもだけど

私はすぐ諦めちゃうけど
ヘルパーさんたちは諦めない

父も意外と諦めていないのだと
ヘルパーさんたちが
見せてくれている日々


2019年9月1日日曜日

9月1日




昨日の夜から眠り込んでいる父

ヘルパーさんがいつも通り来てくれたけど
眠り込んでしまうと起きない父に
おむつ交換くらいしかできないかな。。
と思っていたら


目がパチッと開いたタイミングで
飲み物を飲ませるために
父をベッドに座らせた

もうそれだけでビックリ

そして
食べれるかわからないけど
用意しておいたスイカを
手に持たせて自分で食べさせて

ちょっと歩いてみますか!と
マッチョなサーファーの
男性ヘルパーさんなので
父も安心するのか
支えてもらって歩く練習も

眠り込んでるはずの日に
歩いてる姿なんて
見たことがなかった


ヘルパーさんが帰ろうとすると
父は帰ってほしくなさそうに
「不安でしょうがない」
と言った

海でお陽さまをたくさん浴びてる
ヘルパーさんのあったかさに
こころが溶かされたかのようだった



やっぱり思い込んでしまったら
そこで止まってしまうんだな

決めつける前に
やってみよう

今日ヘルパーさんが
教えてくれたこと


2019年8月31日土曜日

8月31日




今日は恐る恐る
3時過ぎに買い物に出たけど
そんなに暑くなかった

雲も秋っぽくなって
明日から9月



食欲の秋がやってくる

おいしいものたくさん食べたいな

暑さと強制的介護ダイエットで
すっかり量が食べれなくなった


この夏はひたすら
韓国のモッパン(食べる動画)を観て
代わりにたくさん食べてもらって
自分で食べなくても
なんだか満足できるようになった

食べたいときは
とりあえずコチュジャンを入れて
味噌汁も炒め物も韓国料理風に

韓国料理も韓国人も
こんなに好きになるとは
思ってもみなかった


いろいろ白熱してるけど
国ごとわずらわしく思う理由などない
様々なほとぼりが冷めたら
韓国にグルメツアーに行きたいな

ひとまずは新大久保の
コリアンタウンに行って
チーズトッポギが食べたい


2019年8月28日水曜日

8月28日




鉄人と呼ばれた男
そう簡単には死なないぞー

ちょん切られても芽を出す植物のように
水なんかなくなって
ちょっとやそっとじゃ枯れないぞー

ほんの少しの栄養でも
フル活用して生き抜くぞー




父の主治医が変わったことで薬も変わり
倒れたことで点滴で水分も補給されて
ヘルパーさんも代わる代わる
いろんなひとが出入りするし
なんだかちょっと父の様子が違ってきた

私が介護してきた1年半とは
違うペースになって
父にいろんな新しい刺激が
送られているのだろう


その変化に対して
うれしそうなときもあれば
すごく嫌そうなときもあるけど
やっぱり私はすごくサボっていて
父を放っておいてきたのを実感する

いろんなひとたちの新しい手が加わり
今までよりずっと父が安心できて
こころが満たされてくれたら良いな


ここ最近
しおらしいことを言うようになったし

言われる私もうれしいけど
そういう気持ちを抱けることは
父自身が幸せだろうなと思う


2019年8月27日火曜日

8月27日




父の肺炎疑惑が昨日晴れて
ドドーーーッと疲れが出て
ぐったりとする中
幻視モードの元気な父が
容赦なく私を呼んでくる

死にそうになっていたことも
あんまりわかってなくて
いつも通りの父に戻った



お医者さんに
最後はどこでどのように迎えるかとか
どこまで手を施すかとか
あと2、3週間で死んじゃうかもだから
覚悟することも考えるようにと
いろいろ準備をさせてもらって
その分大変だったけど
もうどうなっても大丈夫 と
心構えができたので良かった

本番がいつ来るかは
またわからなくなったけど
もういつそのときが来ても
あとは父に寄り添うのみとなった


頭では決まっていても
いざその気配が近づいてくると
こころがグラグラするものだ

周りの人間の気持ちは決まってても
本人はわかってないながらも
生きようという意思を見せてくれたりする

そうしたらそれをちゃんと受け取りたい

今回父のからだは生きようと
がんばったのだと思った



今回のことで
お医者さん 看護師さん
ケアマネージャーさん ヘルパーさん
それと家族 近しい友人達が
私のこともしっかりと支えてくれた

ほんとうにありがたかった