2019年6月30日日曜日

6月30日




湘南も梅雨らしくなってきた


半年ぶりに帰った山は
カラッと乾いていて
湧き水もちょろちょろ

家の中も
管理してくださっている家族が
上手に空気を動かしてくれているおかげで
サラリとしていて快適だった

今頃山にも雨がざんざん振って
一気にシットリしているかしら



京都方面から9号線を左折して
見慣れた景色の中を走っていると
まるで鎌倉にいた時間が
スポッと消えてしまうかのような
昨日まで普通に暮らしてたかのような
不思議な感覚に包まれる

自然もひともそう

やっぱり自分達に合っているのだと思う


父のことも
いろいろクリアになり
あとは焦らずじっくりやるだけになった

これからもそのときが来るまで
ジメッとしたりカラッとしたりするだろうけど
じっくりじわじわやっていこう


2019年6月23日日曜日

6月23日




明日から山に帰ることに

あっという間に半年ぶりだ

のんびりしたいけど
今回もやることがいっぱい
会いたいひともいっぱい

山の中に
会いたいひとが凝縮
いつも同じひと達に会って終わってしまう
今回もそうなりそう


父の京都移住計画の偵察も
しっかりやってこなければ

無理に動かすつもりはあまりないけど
スムースに行くのならがんばりたい

だってほんとうは帰りたい
この生活が長く続くのならば
なおさら山の中で暮らしたい

この生活も
ずいぶん楽しくなってきたものだけど
やっぱり自然の中で暮らしたい


こっちにも
離れたくないひと達もいるけど
こっちのひと達が
いつもやさしくあったかく受け入れてくれることも
こういう生活をすることになって
改めてわかったうれしいこと

東京の Karuna のインスタグラムができた→
ローズマリーのガレット食べたい


2019年6月22日土曜日

6月22日




朝5時半にトイレに行くと
父が2階のケンチャンの部屋で
ちょこんと座っていた

前の父の部屋は隣だよと言うと
行くぞーとばかりに軽やかに腕を振って
自分の部屋に入っていった


今日は元気なんだな
と思っていたら
朝ごはんを食べたら眠り始めた

昨日の夜
あんまり眠れなかったようなので
このまま寝てしまうかな
と思ったんだけど
ぎりぎり起きてそうな気もしたので
3週間ぶりのマッサージに来てもらうことに

前もって伝えると嫌がるので
突然会わせると
綾瀬はるか似の
かわゆいマッサージ師さんの顔を見た途端
にっこり笑って握手した


もうすぐ産休に入る
まあるいおなかのマッサージ師さん
あと何回会えるかな

父がマッサージ師さんや
看護師さんと仲良く接してるのは
見ていてとてもうれしいこと

父は何をするにも嫌がるけど
相手を嫌うことはない


誰かの行為が受け入れられないことがある
でも そのひとが嫌なわけではない

その行為が嫌なだけ
そのひとを否定したいわけではない
そこは混同しないでいたい


そうは言っても私には
どうやっても生理的に
好きになれないひとはいるけども


2019年6月20日木曜日

6月20日




むあっと暑くなってきたけど
雨マークが出ても消えていく

雲の境目を見た



看護師さんにお風呂に入れてもらったはずの父から
動物みたいなにおいがしている

北海道に住んでたときの
屋根裏からにおってくるにおいとか
山の家の風に乗ってくるにおいとかと
同じようなにおい


一年半前
一緒に住み始めた頃はもうすでに
なかなかお風呂に入ってくれなくなっていたけど
その頃は家中が
おじさんのにおいになっていた

そのにおいも変化していって
今は野生動物みたいなにおい


たくさん野生動物と
触れ合ってきて良かった

におってるけど
なんか自然だから許す


2019年6月18日火曜日

6月18日




梅雨に入って
ずっと元気が出ない父だけど
今日は週に一度の
看護師さんが来てくれる日

やっぱりプロにかかると
全然違う


2週間お風呂に入れてません
と伝えると
「じゃあシャワー浴びちゃいましょうか
私が手伝うから!」と看護師さん
するとすんなり「やっちゃおうか♪」と父
全然ゴネなくて驚いた

サラッとお風呂に入れてもらって
ヒゲも剃ってもらって
キレイサッパリ

やっぱり元気がないので
お風呂に入った後は
すっかり眠り込んでしまったけど
まさかこんなローテンションの最中に
お風呂に入ってくれるとは思わなかった


プロってすごいな
語らずとも伝わってくる
貫禄と信頼感

大阪出身の方で
ノリが合うのもうれしい


2019年6月16日日曜日

6月16日




今日は父の日

父はずっと眠っていたので
何もできなかったけど
多分記憶の上では
父の日に何かをしたことはない

世のひと達は
父の日に何をしてあげてるのだろう


母の日も何もしていなかった

中学生くらいの頃 一度母に
カーネーションをあげた記憶があるけど
全然うれしそうじゃなかったことが
強く記憶に残っている

いつも母の期待に応えたくて
いろいろやってみるも
ことごとく喜んでもらえないのが
母と私の関係だった


そのうちもういいや となり
自分の好きなように生きるために
放浪するようになった

母は誰かに私のことを
「この子はジプシーなのよ」
と紹介していた

そう多分
私はひとりで放っておかれたら
いつでもジプシーに戻るのだと思う

ジプシーに父の日なんて
きっとないから
しょうがないよね


2019年6月15日土曜日

6月15日




梅雨に入ってから父は
ほとんどずーっと寝ている

幻視もそんなに強く出ないまま
ちょっと夜更かししたくらいで
また眠り込んでしまう


まあでも 普通のひとだって
一晩徹夜したら次の日はフラフラだ

若い頃の父は
鉄人と言われてたくらい
タフだったみたいだし
ケンチャンも平気で36時間起きてるし
ケンチャンのおとうさんも
今でも徹夜で作業するらしい
若い頃は3日徹夜したことがあると
こないだも自慢げに話していた


私の周りは超人ばかりで
少々感覚が麻痺しているみたい

父が一晩起きていて
その後眠り込んでしまうのは
そんなに不思議なことじゃない

今まで幻視が強い日に
2日起きていたことの方が
よっぽど不思議なことなのだ


とは言え
梅雨が通り過ぎれば
また本領発揮してくる
可能性も大だけど

幻視が弱く
ずっと寝ていると
毎日静かで楽だけど
やっぱり元気元気でいてくれると
見てる方としては安心するなあ


2019年6月13日木曜日

6月13日




昨日はケンチャンが
代わってくれる日だったので
朝8時に意気込んで出発

まずは新百合ヶ丘まで
お友達太鼓判のイタリア映画を観に


もう20年も前
ヨーロッパを旅していたとき
イタリアのアッシジ駅からの景色に
ググッとこころが動き
ふらりと途中下車して
何も知らず思うままに歩いていたら
ぐるぐると回るように登っていく小さな町が
なんとも言えずかわいらしくなぜか懐かしく
登り切ってたどり着いたのは大きな教会で
後から調べてみたら
聖フランチェスコ聖堂だったこと
映画を観て思い出した

そういうことはあんまりないので
不思議で強く残ってる記憶

映画は私には複雑で
こころが切なくなるもあたたかく
そのまま座っていて
もう一度観たいくらいの
心地良さもあった

新百合ヶ丘は初めて行ったけど
ゆったりとして静かで良い街だった



その後
八王子まで横断
お昼ごはんと気になるお菓子を買いに

お望みのものはゲットできなかったけど
おいしそうなチーズケーキをお土産に買って
多摩のケンチャンの実家へ

おとうさんもおかあさんも
確実に歳をとっていっているけど
元気そうにしていて安心した


ケンチャンのおかあさんは画家さんで
やっぱり私は絵しかない!と
最近また目覚めたそう

おとうさんはこれから
自分のデザインする雑貨のブランドを立ち上げて
もう一花咲かせるつもりらしい

80歳手前になっても
自分にできることをより一層深めたり
新しいことを始めようと
ワクワクしたりできるんだな


ますます焦らず
今はたくさん遊ぼう〜


2019年6月10日月曜日

6月10日




外はすごい雨

家の中に
大量のアリが逃げ込んできた

洗濯物は乾かず

うんうん
梅雨ってそんな感じだった


山の家もジメジメして
カビがのびのび育っているかな

山では洗濯物が乾かないのは
いつものことだったよな

ジメジメしてても
空気が気持ち良いんだよな




父もこんな天気だとグズグス

認知症と低気圧の関係について
インターネットで検索してみたら
いろんな質疑応答が出てきた

低気圧は横に置いといて
介護してるひとの多くは
同じような症状に対して
同じように腹を立てながら
みんな大変ながらもどうにかやってる感じ

父が言ってることややってることは
我が家に限ってではなく
多くのおうちでも同じような感じで
同じように困っていることがわかった

みんなと同じはつまらない
同じな上に困ってるなんて
なおつまらん
低気圧に影響を受けてる場合じゃない



ちなみにケンチャンは
どんな天気であろうと
やりたいことをやる

今日も雨の中
うれしそうに出かけていった


2019年6月9日日曜日

6月9日




父が寝てる間にこっそり抜け出して
どうしても食べたくなった甘い物を
買って帰ってきたら
弟家族が全員でワイワイしていた

みんなで食べれるほどは
買ってきてないし
こういうときに
子供達に捧げてしまうほどの
寛容さは私には全くない

今みたいに
こっそり抜け出さないと
出かけられないような生活をしていたら
なおさら食べたいものを食べれるって
癒しや息抜きのひとときになる



いろいろ言い訳しつつ
自分の強欲さに
痛さを感じるときもある

でも食べ物のことで遠慮して
これで良かったんだ  なんて
思ったことあるかな

いつも隣に
飢えてるひとがいるわけじゃないし
普段は素直に貪欲に
自分の食欲を満たしていた方が
私の精神衛生的には良さそうだ


食べる  って
人生の大きなテーマのひとつだな


2019年6月6日木曜日

6月6日




草がどんどん生い茂っていく中
梅雨が始まるそうで

そこらじゅうがあっという間に
ジャングル状態になる

人目線では困ったりするけど
動物目線だと安心感が増して
居心地良く感じたりするのかな



毎週来てくれる看護師さん

プロの神業で
眠り込んでる父を
ゴロンゴロンと動かしながら
着替えとシーツ替えまでしてくれた

父は全然起きないのだけど
時々表情を変えたり
着替えのときは
からだをちょうど良くホールドして
「協力してくれてますよ」
と看護師さんが言っていた

どんなに動かしても話しかけても
目を開けなかったけど
確かに意識があるように見えた

植物状態のひとみたいに
意思表示ができない状態だけど
ちゃんと全てわかっているかのよう


サッパリキレイに着替えさせてもらって
そのまままた気持ち良く
24時間以上寝てしまいそうだったので
20時間くらい経った頃
水分を摂らせるために起こしてみた

目を開けたんだけど
何やらモゴモゴ言っている

良く聞いていると
自分の名前を言っている

横になったまま水を飲ませて
ちゃんと飲めた?と聞いたら
「運転してませんから」
と返事する


どうやらケンチャンにおねだりした
夜中のワインの罪悪感で
夢の飲酒運転の
検問にひっかかっていたらしい

看護師さんに
ゴロンゴロンしてもらったことは
全然覚えていなかった

でも「お酒はダメだね〜〜」
と飲んだことは覚えていた

お酒も入っていたし
やっぱり爆睡してただけかも


🐧


2019年6月4日火曜日

6月4日




ペンキ塗りたて

葉っぱまで塗っちゃってる
おおざっぱさが好感触




テレビでやってた芸能人の
レビーの親の介護生活は
確かに壮絶そうだったけど
それはやっぱり
ひとりで抱え込んでいたのが
原因のように見えた

やむおえず
そういう状況になってしまうひとも
たくさんいるのだと思うけど
そうやって介護してるひとが
うつやパニックになってしまうケースは
少なくなさそうだ


私が呑気でいられるのは
ケンチャンがいてくれるし
時々私の代わりをしてくれるからだと
こういうときに実感する

昨日私はとっても久しぶりに
熱を出して寝込んでいたのだけど
よりにもよって父は
月に一度やってくるハイパーデイ

朝から元気元気で
私が寝てる間も
ケンチャンにお風呂の準備をしてもらって
「ひとりでできる!」とお風呂に入り
またケンチャンにおねだりして
夜中にワインを開けてもらって晩酌

ハイパーデイは何をし出すかわからないので
私もぐっすりは眠れなかったけど
ケンチャンがいるからどうにかなる
と気楽でいられるのは
ほんとうにありがたい


父の介護が始まったばかりの頃
たくさんの経験者のひと達が私に
「ひとりで抱え込まないように」
と言ってくれた

いろんな家庭の事情があるので
難しい場合もあるかもしれないけど
どんな事情でもせめて
話を聞いてもらうとか
一緒に遊んでもらうとか
何かしらの形で
助けを求めることができる相手が
そばにいるということは
大きな大きな助けになる


父の介護は壮絶ではないし
今はまだ
ヘルパーさんをお願いしたりする必要はないけど
親子の介護生活は精神的にしんどいので
私はこの夏はいろんな友達と遊んで
(主に70代)
助けてもらおうと思う♫


2019年6月2日日曜日

6月2日




一昨日のテレビで
芸能人がレビー小体型認知症の
親の介護をしているのを観ていて
うちとは全然違うなーと思ったけど
芸能人が言っていたことで
そこは同じだな
と思ったことがあって

それは
自分の親が変化していくのを
なかなか受け入れられないということ

そのひとは「親が崩壊していくのを」
と言っていた気がするけど
確かに正常ではなくなっていく
個性とか言えるレベルではなくなっていくのを
見ているのはなかなか辛いものがある

徐々に親ではなくなっていく

子供とか家族とかは関係なく
いずれは忘れていってしまうのだから


だからこちらも
親とか家族とかの
思い込みをはずしていかないといけない

親だからこうであってほしいなんて
望んだら悲しい気持ちを
たくさん味わうことになる

ただ育ててくれた感謝だけを
しっかり握りしめて
あとは一緒に
忘れていったらいいのかもしれない


2019年6月1日土曜日

6月1日




今日は久しぶりの
父のリハビリマッサージの日

ほんとうは毎週お願いしてるのだけど
寝てしまってる日と重なりがちで
なんだかんだで月に一度くらいに
なってしまっている


綾瀬はるかにそっくりな上に
ちいちゃくて純朴なマッサージ師さんは
とてもかわいらしく
父もまんざらでもなさそうで
マッサージ自体は億劫そうだけど
マッサージ師さんを目の前にすると
いつも流されてやってもらっている

前もって「今日はマッサージだよ」
と伝えると大抵嫌がるので
最近は大丈夫そうな日は
考える隙を与えないほど
滑らかに滑り込んでもらっている


レビーのひとは
後頭部をほぐすと良いらしいのだけど
父は全然気持ち良さそうじゃない

肩を揉んだって
喜びゃしないし
手を握っても
「そんなに単純じゃないよ」
とか言ってくるかわいくない父だけど
マッサージ師さんには
すぐに父のかわいさがバレて
今日もかわいいと言われて
きょとんとしていた


昨日テレビで
レビーの介護が壮絶そうにやってたけど
父は基本的にはいつも
犬がおすわりしてきょとんとしてるみたいに
きょとんとしているか
ぼーっとしているので
やっぱりどんな風に生きてきたかが
関係しているのだと思う

昨日のテレビでは
そのひとの過去の壮絶な記憶が
幻視として出てきていたから
父が最近良く言う「凍っちゃう」ってのも
長野の山で育った父の
古い記憶なのかもしれない

今日も朝から訴えていたので
マッサージ師さんが
その凍っちゃったからだを
溶かしたかったみたいだけど
「溶けなかったみたいです」
と愛おしそうに言って帰っていった