2020年9月30日水曜日

9月30日


フワフワの種達は

地面に降りたかったのに

蜘蛛の巣にひっかかってしまって

こんなはずじゃなかった!と

今は思ってるかもしれないけど

それは種のせいじゃないから

自分を責める必要はないし

まだ諦めるのは早い


いつか望んでる場所へ

降り立てるかもしれない

今は望み通りじゃなくても

そこはまだ道の途中かもしれない




まだインドから帰ってこれない友達は

そんな風に私を励ましてくれたことがある


帰ってこれない友達を

励ますべきは私の方かもしれないのに

いつも気丈に今を受け入れている


かといって 願わくば帰ってきたいそう

インドの食事のせいか

丸々してきて気が気でないよう


でも 周りのインド人達の方が丸々なので

あまり目立たないけど と


元気そうで平和そうで何より

でも早く帰ってこれますように



2020年9月29日火曜日

9月29日


夕陽が見えない山の中

雲に映るピンクを楽しむ

 


色は楽しい

ピンクにも心ときめくバリエーションが

グラデーションして エモーショナルで


ほっぺたも夕陽もなでしこの花も

きっと遥か昔から

私達を和ませてくれた


何かをかわいいと思うことのきっかけと

幸せに気づかせてくれるのは

自然の中にあるピンクのなせる技



2020年9月28日月曜日

9月28日

 

今日は朝から栗な一日


大福名人の栗大福をおいしく食べて

新居で栗拾いして

お隣さんにも山ほど栗をいただいて


小学校の時の演劇で

猿蟹合戦の栗の役をやらされたし

高校生の頃も顔がまんまるで

栗みたいだとからかわれた

にじみ出る栗好きなので

丹波篠山に住むことになるのも納得だ



せっかくだから 栗を使って

何かできたら楽しいな

ひとまず今 5キロはある栗で

いろいろおいしいものを作ってみよう



2020年9月27日日曜日

9月27日

 

山の斜面から湧き出して

流れ落ちる水


いつだって落ちていく

重力はなんだって地面に引っ張りつける

抵抗する力が抜けたら

誰だって地面にペタンと貼り付けられる


抵抗して昇っていこうとするのは

きっとすごく大事なことなのかもしれないけど

毎日夜になったら

床にペタンと張り付いて眠るように

たまには落ちていってみるのも

そんなに悪いことではないんじゃないの


落ちても必ず地面がある

地球の上で生きてるんだもの


地面を掘ってまで

地中に潜るまで落ちるのは

かえって疲れるから

そこまでする前に

また昇ってみようと自然と思うでしょう



2020年9月26日土曜日

9月26日

 


今日は漢方のワークショップだとか

10代から?0代までの女子が集まり

面白そうな先生のお話に

楽しそうに笑ってる声が

畑まで聞こえてくる


きっと理科の実験みたいな感じなのかな

こういうのは遠くから見ているのが得意

輪に入るのは苦手 笑

なので畑を耕していた



そのうち雨が降ってきて

ワークショップが終わった頃に家に戻ると

子供を迎えに来たお母さんが

虹が出ていたと教えてくれた


最後まで賑やかな会だったようで

みんな笑顔で

輪に入らなくても心地良かった


帰り際に先生とお話ししていたら

短い時間だったけど意気投合し

先生の本をプレゼントしてくれた


輪に入らなくても

私は私で良いんだなと思わせてくれた



2020年9月25日金曜日

9月25日

 


よりにもよって ということがある



おなかをすかせ せっせと作ったごはんを

さあ食べよう!という時に

お客さんが来たり 電話がかかってくる


ひとりでゆっくり楽しもう

さあ食べよう!という時に

出かけてたケンチャンが帰ってくる


気のせいかとも思うけど

けっこう頻繁にそれが起こるので

不思議になってくる

もはや不思議を通り越して

ご勘弁の領域


唯一の楽しみ 食べることに

没頭させてほしい

これって楽しみにし過ぎなのかしら



台所にいたと思ったら

今は私の部屋にいるのもやめてほしい

ヤモリなのかイモリなのか

わからないけれど



2020年9月24日木曜日

9月24日


腰痛が良くなったケンチャンは

毎日草刈りをしてくれている


バリバリバリと破裂音を立てて

排気量もすごいらしい重たい草刈り機で

今となっては新居と山の家を合わせた

二軒分の広範囲を

少しずつだけど持ち前の完璧主義で

見事サッパリと刈り上げていく



 新居には山も田んぼも畑もあるので

まずは栗が落ちたら拾えるようにと

山の斜面の栗の木の下を刈るよう

地主さんからの指示でバリバリ


そのあとは田んぼ

田んぼは田んぼのみならず

田んぼをぐるりと囲む法面まで刈るのだから

丸一日かかってしまう



村人のそれぞれの土地の境界は曖昧で

なぜかとても複雑に区切られている


必ずしも家の周りが自分の土地ではない

みんな家から車で出かけて

田んぼや畑をやっていたりする


そしてみんなしっかりその境界に従って

各自草刈りをがんばっている


年に3、4回は刈らないと

ボーボーのジャングルになって

マムシとか危険な生き物の住処になるから

がんばる選択しか今のところない



大変なことだけど

村の人達を見ていると

草刈りさえちゃんとしてたら

穏やかに暮らせるんじゃないかと思えてくる


特別なことをしなくても

草刈りをちゃんとしていたら

幸せに生きていけるような気がなぜかする


ケンチャンは毎日

徳を積んでいるような気がする



2020年9月23日水曜日

9月23日

 

お彼岸におはぎをお供え


形だけだけど

やることやった感を味わえて

なんだか満足



しかし

村のお母さんのおはぎは

ふんわりしてておいしかったな


私のは私のらしく

ぎゅっとしてる。。。


次こそはふんわりおはぎを作りたい


最高級のもち米も注文したし

次こそは



やっぱり風情より食欲が勝る秋



2020年9月22日火曜日

9月22日

 

ちょうどお彼岸に咲いた彼岸花

うちは一輪しか咲いていないけれど

数日前に草取りしてた場所なのに

蕾があったことに

全く気がつかなかったな


ほんとうは一輪ではなくて

たくさん生えてたのに

抜いてしまっていたりして


車で走っていても

数日前には見なかったのに

突如たくさん咲いている



彼岸花が咲いてるのだから

お彼岸なのだな と思っていたら

村のお母さんが

手作りおはぎを届けに来てくれた


塩が効いてておいしいおはぎ

いつもお彼岸を知らせてくれる


お母さんのおはぎで

お彼岸を感じるのみの我が人生だったけど

うちはどうやら父の初彼岸のようなので

自分でもおはぎを作ってお供えしてみようかな


おいしかった塩の効いたおはぎを

おなかいっぱい食べたいという

願望ゆえにとも言えるけど


父と母の分も

しっかり食べるよ



2020年9月21日月曜日

9月21日



山はすっかり秋になり

朝晩冷え込んで寒い


6時半にはもう暗くなるので

冬至はいつだったっけと調べてみると

12月21日だそうで

まだまだ当分先だ


これじゃあ 来月にはもう

5時半には暗くなって

11月で4時半

そうしたら12月なんて

3時半には日が沈んでしまうんじゃないか



そんな心配をしてみたりするほど

山の毎日は穏やかに過ぎ去っていく


毎年秋が来るのに

いつもどうだったかなんてことも

すっかり忘れてしまう


それは山うんぬんではなく

ぼんやりし過ぎてるだけかな



2020年9月20日日曜日

9月20日

 

おじいちゃんおばあちゃんが好きだってことは

おじいちゃんおばあちゃんに囲まれてみるまで

知らなかったこと


好き好んで囲まれたわけでもなく

偶然そんな環境に身を置くことになった


そういう偶然が自分を導いてくれることもある

だから深く考えず身を置いてみるのも良い


想像もしてなかった自分を

見ることになるかもしれない


思ってる以上に

しっくりくるかもしれない



2020年9月19日土曜日

9月19日

 

鹿は網に引っかかって

身動きが取れなくなると

ジタバタして体力を消耗して

しばらくしたら疲れて死んでしまう


たくさんジタバタして

筋肉が硬くなってしまうので

網にかかった鹿は

犬用のジャーキーにされるそう


うちの網に引っかかってしまった鹿を

取りに来てくれた猟師の友達が

教えてくれた



たった10時間やそこら

ジタバタしたら死んでしまう

弱い弱い動物


鹿は柵をしてたら

畑を荒らしたりしないし

山にいてくれると寂しくないし


もう網に引っかからないでほしい

なんだかとても切ないから



2020年9月18日金曜日

9月18日

 

山の家の地主さんは

伊丹から週末だけやってきて

お米を作っている


いつもひとりで作業しているけど

これと田んぼもう一枚分

全部ひとりで刈って干したのだろうか


案山子もちょっとは

手伝ってくれたのだろうか



村の天才料理人夫婦も

今年 初田んぼで初収穫


天日干ししているそうなので

明日からずっと晴れて

カラッと乾いてくれるように

私も祈るような気持ち



3年前に一度 村の仲良し夫婦の

やっぱり初田んぼの初収穫で

田植えと稲刈りを手伝ったことがあった


仲良し夫婦が脱穀も手作業でがんばって

みんなで塩むすびを食べるのを

楽しみにしていたところで

私の両親が病気で倒れ

急遽実家に戻ることになった


そうしたらそのお米を

みんなで食べずに

ほぼそっくりそのまま私の実家に

送ってくれた


その時はほぼ全部だなんて

知りも思いもしなかった


そのことは

山の家に帰ってきてから

聞かせてもらった


きっと私はこれから

毎年この時期になると

そのことを思い出して

いろんな気持ちで

胸がいっぱいになるのだろうな



2020年9月17日木曜日

9月17日

 

アメリカの名作を読み終わった


感想文はろくすっぽ書けなかった

小学生の頃の印象

今もあんまり変わらない

きっと感じた想いが言葉になるまでに

宿題の期限より時間がかかるんだ


次は友達が貸してくれた漫画

25巻もある


ちょうど良く雨が降ってきた



2020年9月16日水曜日

9月16日

 

自分の目で見る景色より

窓を通して見る景色とか

ガラスに映る景色の方が

きれいに見える時もある


誰かに教えてもらったら

そのきれいさに気付けたり

その人のフィルターを通して

自分だけでは見えてなかったものが

見えてきたりする


きっと自分の目で見たものや

感じたことだけを信じられないのは

そういう楽しさも

知ってしまったからかも



余計なものを写し込んで

伝わりにくくしてしまうのも

自分だしね 笑


いつもあいまいで

ビミョーでいることも

実は才能なんじゃないか



2020年9月15日火曜日

9月15日



美しいものっていうは

あるがままの美しさってのもあるけど

それが保たれているからで

保とうとする力が働いていないと

すぐに崩れてしまう

美しさが

おびやかされることもある



大好きな村が今も美しいのは

美しく保とうと

力を注いでくれた人達がいるから


きっとたくさん苦しんで

がんばってくれた

その人達がいなかったら

今と全く違った気持ちで

村を眺めていたのだろう


私はそんな風に

何かを守ることができるかな


簡単なことじゃないと思うから

がんばってくれた人達を尊敬する


そして 感謝を込めて

これからも一緒に泣いたり怒ったり

汗を流したりしていきたい


そしてこの村は美しいねと

笑いたい 歌いたい



2020年9月14日月曜日

9月14日

 

大きな波の上でざわめく

小波にまどわされ

ざわざわさせられていると

大きな波のどこにいるのか

見失ってしまう


いつも波の上にいることすら

忘れてしまう



そりゃあ原因はあるかもしれないけど

時には目先の不調に惑わされず

ふんぞりかえって日常を過ごしていてみよう


その不調もただ

いつも通りに通り過ぎていくだけの

小さな現象なのかもしれないから



大きな波を右肩上がりに

上昇させていくには

何をしたら良いのかって

忘れなければきっと大丈夫



2020年9月13日日曜日

9月13日



今日は村のお稲荷さんのお祭り



集落の中で

上(かみ)と下(しも)に分かれている

当番が入れ替わる日

これから一年間は

私達の住む下が当番になる



行事の準備や片付けをしたり

神社やお地蔵さんの掃除をしたり



ずっとずっとそうやって

守られてきたこと

アラフィフでも一応若い私達も

そのまま大切に受け継いでいきたい





みんなで神社にお参りしてから

公民館に集まって

おしゃべりしながらおやつを食べて



風が冷たくなった



縁側に座って

おじいちゃんの話を聞きながら

子供達が遊んでいるのを見ていると

なんとも言えない気持ちになる



2020年9月12日土曜日

9月12日

 


文章を書きたいなら

私は本を読むべきだ と思い

最近は本を読んでいる



ずっとユーチューブばかり観ていたけど

それもそんなに悪いことじゃない

だって本を読むきっかけをくれたのは

ユーチューブだから





好きなアメリカの作曲家がいて

その人の曲の動画に

「あなたの曲の意味を理解できたら良いのに」

とコメントをした


そうしたら

何ヶ月も経ってそのコメントに

知らない親切な人からコメントが来た


「この曲はアメリカの名作が題材になっているので

その本を読んでみたら良いよ」と


私はそのコメントに返信した

「でも私の英語はその本を読むには充分じゃないよ」

そうしたらそれにも返信が来て

「ハハハ 僕はメキシコ人だよ

僕の英語も充分じゃないよ

その本は名作だから

たくさんの国の言語で出版されてるはずだよ」


そう聞いて私はすぐに

その本を調べて注文した

そのことをその人に伝えたら

とても喜んでくれた



そしてその本がとても面白い


ひとつひとつを表現するのに

回りくどい例えが羅列されていて

なかなか話しが進んでいかないな

と思っているうちに

脳みそにしっかりと

その情景が焼き付けられている


私のような集中力のない人間でも

自然と物語に入り込んでいってしまう



ずっと本を買っても

途中までしか読まない という

お決まりのパターンが打破されそうだ


自分のためになりそうな

自己啓発本を途中で投げ出してしまうか

俗な物語を読破するか


どっちも同じようなものだけど

まずはこの本に最後まで惹きつけられたら

この本を教えてくれたアミーゴに感謝だな



2020年9月11日金曜日

9月11日

 

今朝は久しぶりに

イタチに起こされる


いつも明け方

私の部屋の天井裏に

バーン!と大きな音を立てて落ちてくる

きっとモモンガみたいに手足を四方に開いて

落ちてくるみたいな音がする


私はいつも飛び起きて

寝ぼけ眼でドアをバーン!と開けて

ホウキをむんずと掴んで

天井をドンドンドン!と叩きながら

自分の足もドンドンドン!と鳴らして

イタチの足音を追いかけ回す


きっとイタチは

前にもそうされたことを忘れてるのか

何事か!と

しばらくすると逃げていく



もう朝が寒くなってきたから

暖かい天井裏で寝たいのだろう


気持ちは察するので

トイレさえ外でしてくれたら

シェアハウスしてあげても良いのだけど

肝心のそれができないみたい


仕方がない

寝ぼけていても

早朝から心はオートマチックに鬼になる



2020年9月10日木曜日

9月10日

 

パンが食べたい!と言うために

訪ねて来てくれた人がいた


もう焼かないのは知っていて

それでも食い下がってきてくれる


とってもうれしかった


焼かないけど


その人のご家族の分だけ焼こうかな

と思ってしまうくらいうれしかった


焼かないけど


今日も小さな菓子パンを食べたら

たくさん湿疹が出て痒いんだもの



でも とてもうれしかったことと

たくさん励まされたことは確か



2020年9月9日水曜日

9月9日

 

ケンチャンは昨日

朝の7時半に自転車で家を出て

夜の7時半に疲れ果てて帰ってきた


そんなつもりはなかったそうだけど

結果246km走ったんだと



私が栗を拾いに行ったら

栗の木の下に

野うさぎの頭がちょん切れて

落ちていたのも知らず


先日罠にかかった対のイノシシの片割れが

恨みからとうとう肉食化したのかと

不気味で震え上がっていたのも知らず


友達にそれを話したら

それはきっとキツネだと教えてくれて

納得して安心したのも知らず




友達の助言で

埋めてあげようかと今日も見に行ったら

すっぽりと虫に包まれて

朽ちようとしていた


それはそれでなかなかの光景で近寄れず

もう少し経過してから

土をかけてあげることにした



2020年9月8日火曜日

9月8日

 

近くの木の実が落ちて

芽が出て スクスク

大きくなることを許された杉


モミジの木よりはるかに背が高くなって

不思議な立ち位置で立ちはだかっている


ここまで大きくなるまで

誰も切らなかったことが不思議になる


きっと誰の計算も働いていない

自然に育った木だから

なぜかそこに立っているのも自然で

歴代の住人に違和感を

感じさせなかったのかもしれない


実際自分達も

あまり気に留めていなかったし



今では大きくなり過ぎて

そこにある不思議さが前面に


木も人間関係みたいに

違和感が小さいうちに

早く気づいて切るのはお互いのため


大きくなってしまったら

がんばって切る方法を探るも良し



2020年9月7日月曜日

9月7日

 

蝉が鳴いている


蝉の声が聞こえなくなる日について

これまで半世紀 夏を通り過ぎてきて

全く意識をしたことがなかった


いつもいつの間にか秋になって

あれだけ聞いた蝉の声も

蝉の存在すらも忘れている



少し前からコオロギが

鳴き始めたのは知っている


蝉と一緒に鳴いているのを聞けるのは

あとどれくらいなのだろう


季節の変わり目は意外と短いから

久しぶりの山の寒さが

すぐそこまで迫ってきている気配を

コオロギの声が助長する



2020年9月6日日曜日

9月6日

 


今年はたくさんなった栗

台風でたくさん落ちるかな

風も吹いていないのに

もう落ちているくらいだから



台風は怖い

家ごと飛んでいきそうで

耳栓して寝るにも落ち着かない


海の上だけで いっくらでも ご自由に

猛威を振るってくれたら良いのに



2020年9月5日土曜日

9月5日


 

虫? 鳥?

何かが飛んでいる


朝から晩まで

虫と鳥の声が聞こえている



動物の声も聞こえた

イノシシが罠にかかった声


罠をかけた猟師の友達が

精肉業をしている人を連れてきて

その人の手で血抜きされた


ちょうど私は用事で出かけていて

騒ぐ音も苦しむ声も

聞かぬままに終わっていた



牡丹鍋の季節でもないし

捕まえてもおいしくないし

値打ちもないと聞いていたけど

プロの手にかかっては

熟成されて活かされるそう


イノシシはただ生きて

食べ物を探し歩いているだけ

殺されるのは人間の都合でしかない

おいしく食べてもらったって

人間の都合


でも ただ殺すのではなく

せめておいしく と思う

私はやっぱりにんげんだもの



2020年9月4日金曜日

9月4日



 雨が降る頃合いに合わせて

種を蒔く


空を見上げて待っていても

予報通りには降ってこないので

もうひと畝耕すことに


ごろごろの塊だらけの土

指先で細かく砕きながら

みずみずしいカブや大根が

このごろごろや小石の固さに接しながら

どんな風に大きくなるのかを想像すると

できる限りの事はしようと思う反面

果てしないごろごろさに途方に暮れる



麦わら帽子にポツリと

雨が当たる音がした


種を蒔き終わり

しばらくすると

ジョウロで注ぐのと同じくらいであろう

土砂降りの雨が降ってきた



2020年9月3日木曜日

9月3日



もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


「倚りかからず」茨木のりこ より引用
 




私はまだながく生きていないし

全然いろいろ倚りかかるんだけど

そう言いたくなる気持ちもわかるよ


今日はのりこさんに倚りかかり気味




2020年9月2日水曜日

9月2日



頭の中に

まあるいお月さんが占領してきて

考える余白もなく

言葉も浮かんでこない


何もしないまま夜になった

ずっと雨に待たされていたような



2020年9月1日火曜日

9月1日



 篠山で一番始めにできた友達が

篠山を離れたこと

なんとも言えない気持ちだけど

自分の気持ちは横に置いて

その友達が「良いことしかない」と一言

言ったこと 同じように感じていたい



同じような一言を

昔言ってくれた人がいて

その人も今も私に影響し続けている


もちろん楽しいことばかりではなく

辛いことと向き合っていても

全部自分にとって良いことなんだと



そろそろ新居に着いたかな

新しい門出

穏やかに秋を楽しめますように