フワフワの種達は
地面に降りたかったのに
蜘蛛の巣にひっかかってしまって
こんなはずじゃなかった!と
今は思ってるかもしれないけど
それは種のせいじゃないから
自分を責める必要はないし
まだ諦めるのは早い
いつか望んでる場所へ
降り立てるかもしれない
今は望み通りじゃなくても
そこはまだ道の途中かもしれない
まだインドから帰ってこれない友達は
そんな風に私を励ましてくれたことがある
帰ってこれない友達を
励ますべきは私の方かもしれないのに
いつも気丈に今を受け入れている
かといって 願わくば帰ってきたいそう
インドの食事のせいか
丸々してきて気が気でないよう
でも 周りのインド人達の方が丸々なので
あまり目立たないけど と
元気そうで平和そうで何より
でも早く帰ってこれますように
夕陽が見えない山の中
雲に映るピンクを楽しむ
色は楽しい
ピンクにも心ときめくバリエーションが
グラデーションして エモーショナルで
ほっぺたも夕陽もなでしこの花も
きっと遥か昔から
私達を和ませてくれた
何かをかわいいと思うことのきっかけと
幸せに気づかせてくれるのは
自然の中にあるピンクのなせる技
今日は朝から栗な一日
大福名人の栗大福をおいしく食べて
新居で栗拾いして
お隣さんにも山ほど栗をいただいて
小学校の時の演劇で
猿蟹合戦の栗の役をやらされたし
高校生の頃も顔がまんまるで
栗みたいだとからかわれた
にじみ出る栗好きなので
丹波篠山に住むことになるのも納得だ
せっかくだから 栗を使って
何かできたら楽しいな
ひとまず今 5キロはある栗で
いろいろおいしいものを作ってみよう
山の斜面から湧き出して
流れ落ちる水
いつだって落ちていく
重力はなんだって地面に引っ張りつける
抵抗する力が抜けたら
誰だって地面にペタンと貼り付けられる
抵抗して昇っていこうとするのは
きっとすごく大事なことなのかもしれないけど
毎日夜になったら
床にペタンと張り付いて眠るように
たまには落ちていってみるのも
そんなに悪いことではないんじゃないの
落ちても必ず地面がある
地球の上で生きてるんだもの
地面を掘ってまで
地中に潜るまで落ちるのは
かえって疲れるから
そこまでする前に
また昇ってみようと自然と思うでしょう
今日は漢方のワークショップだとか
10代から?0代までの女子が集まり
面白そうな先生のお話に
楽しそうに笑ってる声が
畑まで聞こえてくる
きっと理科の実験みたいな感じなのかな
こういうのは遠くから見ているのが得意
輪に入るのは苦手 笑
なので畑を耕していた
そのうち雨が降ってきて
ワークショップが終わった頃に家に戻ると
子供を迎えに来たお母さんが
虹が出ていたと教えてくれた
最後まで賑やかな会だったようで
みんな笑顔で
輪に入らなくても心地良かった
帰り際に先生とお話ししていたら
短い時間だったけど意気投合し
先生の本をプレゼントしてくれた
輪に入らなくても
私は私で良いんだなと思わせてくれた
よりにもよって ということがある
おなかをすかせ せっせと作ったごはんを
さあ食べよう!という時に
お客さんが来たり 電話がかかってくる
ひとりでゆっくり楽しもう
さあ食べよう!という時に
出かけてたケンチャンが帰ってくる
気のせいかとも思うけど
けっこう頻繁にそれが起こるので
不思議になってくる
もはや不思議を通り越して
ご勘弁の領域
唯一の楽しみ 食べることに
没頭させてほしい
これって楽しみにし過ぎなのかしら
台所にいたと思ったら
今は私の部屋にいるのもやめてほしい
ヤモリなのかイモリなのか
わからないけれど
腰痛が良くなったケンチャンは
毎日草刈りをしてくれている
バリバリバリと破裂音を立てて
排気量もすごいらしい重たい草刈り機で
今となっては新居と山の家を合わせた
二軒分の広範囲を
少しずつだけど持ち前の完璧主義で
見事サッパリと刈り上げていく
新居には山も田んぼも畑もあるので
まずは栗が落ちたら拾えるようにと
山の斜面の栗の木の下を刈るよう
地主さんからの指示でバリバリ
そのあとは田んぼ
田んぼは田んぼのみならず
田んぼをぐるりと囲む法面まで刈るのだから
丸一日かかってしまう
村人のそれぞれの土地の境界は曖昧で
なぜかとても複雑に区切られている
必ずしも家の周りが自分の土地ではない
みんな家から車で出かけて
田んぼや畑をやっていたりする
そしてみんなしっかりその境界に従って
各自草刈りをがんばっている
年に3、4回は刈らないと
ボーボーのジャングルになって
マムシとか危険な生き物の住処になるから
がんばる選択しか今のところない
大変なことだけど
村の人達を見ていると
草刈りさえちゃんとしてたら
穏やかに暮らせるんじゃないかと思えてくる
特別なことをしなくても
草刈りをちゃんとしていたら
幸せに生きていけるような気がなぜかする
ケンチャンは毎日
徳を積んでいるような気がする
お彼岸におはぎをお供え
形だけだけど
やることやった感を味わえて
なんだか満足
しかし
村のお母さんのおはぎは
ふんわりしてておいしかったな
私のは私のらしく
ぎゅっとしてる。。。
次こそはふんわりおはぎを作りたい
最高級のもち米も注文したし
次こそは
やっぱり風情より食欲が勝る秋
ちょうどお彼岸に咲いた彼岸花
うちは一輪しか咲いていないけれど
数日前に草取りしてた場所なのに
蕾があったことに
全く気がつかなかったな
ほんとうは一輪ではなくて
たくさん生えてたのに
抜いてしまっていたりして
車で走っていても
数日前には見なかったのに
突如たくさん咲いている
彼岸花が咲いてるのだから
お彼岸なのだな と思っていたら
村のお母さんが
手作りおはぎを届けに来てくれた
塩が効いてておいしいおはぎ
いつもお彼岸を知らせてくれる
お母さんのおはぎで
お彼岸を感じるのみの我が人生だったけど
うちはどうやら父の初彼岸のようなので
自分でもおはぎを作ってお供えしてみようかな
おいしかった塩の効いたおはぎを
おなかいっぱい食べたいという
願望ゆえにとも言えるけど
父と母の分も
しっかり食べるよ
山はすっかり秋になり
朝晩冷え込んで寒い
6時半にはもう暗くなるので
冬至はいつだったっけと調べてみると
12月21日だそうで
まだまだ当分先だ
これじゃあ 来月にはもう
5時半には暗くなって
11月で4時半
そうしたら12月なんて
3時半には日が沈んでしまうんじゃないか
そんな心配をしてみたりするほど
山の毎日は穏やかに過ぎ去っていく
毎年秋が来るのに
いつもどうだったかなんてことも
すっかり忘れてしまう
それは山うんぬんではなく
ぼんやりし過ぎてるだけかな
おじいちゃんおばあちゃんが好きだってことは
おじいちゃんおばあちゃんに囲まれてみるまで
知らなかったこと
好き好んで囲まれたわけでもなく
偶然そんな環境に身を置くことになった
そういう偶然が自分を導いてくれることもある
だから深く考えず身を置いてみるのも良い
想像もしてなかった自分を
見ることになるかもしれない
思ってる以上に
しっくりくるかもしれない
鹿は網に引っかかって
身動きが取れなくなると
ジタバタして体力を消耗して
しばらくしたら疲れて死んでしまう
たくさんジタバタして
筋肉が硬くなってしまうので
網にかかった鹿は
犬用のジャーキーにされるそう
うちの網に引っかかってしまった鹿を
取りに来てくれた猟師の友達が
教えてくれた
たった10時間やそこら
ジタバタしたら死んでしまう
弱い弱い動物
鹿は柵をしてたら
畑を荒らしたりしないし
山にいてくれると寂しくないし
もう網に引っかからないでほしい
なんだかとても切ないから
山の家の地主さんは
伊丹から週末だけやってきて
お米を作っている
いつもひとりで作業しているけど
これと田んぼもう一枚分
全部ひとりで刈って干したのだろうか
案山子もちょっとは
手伝ってくれたのだろうか
村の天才料理人夫婦も
今年 初田んぼで初収穫
天日干ししているそうなので
明日からずっと晴れて
カラッと乾いてくれるように
私も祈るような気持ち
3年前に一度 村の仲良し夫婦の
やっぱり初田んぼの初収穫で
田植えと稲刈りを手伝ったことがあった
仲良し夫婦が脱穀も手作業でがんばって
みんなで塩むすびを食べるのを
楽しみにしていたところで
私の両親が病気で倒れ
急遽実家に戻ることになった
そうしたらそのお米を
みんなで食べずに
ほぼそっくりそのまま私の実家に
送ってくれた
その時はほぼ全部だなんて
知りも思いもしなかった
そのことは
山の家に帰ってきてから
聞かせてもらった
きっと私はこれから
毎年この時期になると
そのことを思い出して
いろんな気持ちで
胸がいっぱいになるのだろうな
アメリカの名作を読み終わった
感想文はろくすっぽ書けなかった
小学生の頃の印象
今もあんまり変わらない
きっと感じた想いが言葉になるまでに
宿題の期限より時間がかかるんだ
次は友達が貸してくれた漫画
25巻もある
ちょうど良く雨が降ってきた
自分の目で見る景色より
窓を通して見る景色とか
ガラスに映る景色の方が
きれいに見える時もある
誰かに教えてもらったら
そのきれいさに気付けたり
その人のフィルターを通して
自分だけでは見えてなかったものが
見えてきたりする
きっと自分の目で見たものや
感じたことだけを信じられないのは
そういう楽しさも
知ってしまったからかも
余計なものを写し込んで
伝わりにくくしてしまうのも
自分だしね 笑
いつもあいまいで
ビミョーでいることも
実は才能なんじゃないか
美しいものっていうは
あるがままの美しさってのもあるけど
それが保たれているからで
保とうとする力が働いていないと
すぐに崩れてしまう
美しさが
おびやかされることもある
大好きな村が今も美しいのは
美しく保とうと
力を注いでくれた人達がいるから
きっとたくさん苦しんで
がんばってくれた
その人達がいなかったら
今と全く違った気持ちで
村を眺めていたのだろう
私はそんな風に
何かを守ることができるかな
簡単なことじゃないと思うから
がんばってくれた人達を尊敬する
そして 感謝を込めて
これからも一緒に泣いたり怒ったり
汗を流したりしていきたい
そしてこの村は美しいねと
笑いたい 歌いたい
大きな波の上でざわめく
小波にまどわされ
ざわざわさせられていると
大きな波のどこにいるのか
見失ってしまう
いつも波の上にいることすら
忘れてしまう
そりゃあ原因はあるかもしれないけど
時には目先の不調に惑わされず
ふんぞりかえって日常を過ごしていてみよう
その不調もただ
いつも通りに通り過ぎていくだけの
小さな現象なのかもしれないから
大きな波を右肩上がりに
上昇させていくには
何をしたら良いのかって
忘れなければきっと大丈夫
今日は村のお稲荷さんのお祭り
集落の中で
上(かみ)と下(しも)に分かれている
当番が入れ替わる日
これから一年間は
私達の住む下が当番になる
行事の準備や片付けをしたり
神社やお地蔵さんの掃除をしたり
ずっとずっとそうやって
守られてきたこと
アラフィフでも一応若い私達も
そのまま大切に受け継いでいきたい
みんなで神社にお参りしてから
公民館に集まって
おしゃべりしながらおやつを食べて
風が冷たくなった
縁側に座って
おじいちゃんの話を聞きながら
子供達が遊んでいるのを見ていると
なんとも言えない気持ちになる
文章を書きたいなら
私は本を読むべきだ と思い
最近は本を読んでいる
ずっとユーチューブばかり観ていたけど
それもそんなに悪いことじゃない
だって本を読むきっかけをくれたのは
ユーチューブだから
好きなアメリカの作曲家がいて
その人の曲の動画に
「あなたの曲の意味を理解できたら良いのに」
とコメントをした
そうしたら
何ヶ月も経ってそのコメントに
知らない親切な人からコメントが来た
「この曲はアメリカの名作が題材になっているので
その本を読んでみたら良いよ」と
私はそのコメントに返信した
「でも私の英語はその本を読むには充分じゃないよ」
そうしたらそれにも返信が来て
「ハハハ 僕はメキシコ人だよ
僕の英語も充分じゃないよ
その本は名作だから
たくさんの国の言語で出版されてるはずだよ」
そう聞いて私はすぐに
その本を調べて注文した
そのことをその人に伝えたら
とても喜んでくれた
そしてその本がとても面白い
ひとつひとつを表現するのに
回りくどい例えが羅列されていて
なかなか話しが進んでいかないな
と思っているうちに
脳みそにしっかりと
その情景が焼き付けられている
私のような集中力のない人間でも
自然と物語に入り込んでいってしまう
ずっと本を買っても
途中までしか読まない という
お決まりのパターンが打破されそうだ
自分のためになりそうな
自己啓発本を途中で投げ出してしまうか
俗な物語を読破するか
どっちも同じようなものだけど
まずはこの本に最後まで惹きつけられたら
この本を教えてくれたアミーゴに感謝だな
今朝は久しぶりに
イタチに起こされる
いつも明け方
私の部屋の天井裏に
バーン!と大きな音を立てて落ちてくる
きっとモモンガみたいに手足を四方に開いて
落ちてくるみたいな音がする
私はいつも飛び起きて
寝ぼけ眼でドアをバーン!と開けて
ホウキをむんずと掴んで
天井をドンドンドン!と叩きながら
自分の足もドンドンドン!と鳴らして
イタチの足音を追いかけ回す
きっとイタチは
前にもそうされたことを忘れてるのか
何事か!と
しばらくすると逃げていく
もう朝が寒くなってきたから
暖かい天井裏で寝たいのだろう
気持ちは察するので
トイレさえ外でしてくれたら
シェアハウスしてあげても良いのだけど
肝心のそれができないみたい
仕方がない
寝ぼけていても
早朝から心はオートマチックに鬼になる
パンが食べたい!と言うために
訪ねて来てくれた人がいた
もう焼かないのは知っていて
それでも食い下がってきてくれる
とってもうれしかった
焼かないけど
その人のご家族の分だけ焼こうかな
と思ってしまうくらいうれしかった
焼かないけど
今日も小さな菓子パンを食べたら
たくさん湿疹が出て痒いんだもの
でも とてもうれしかったことと
たくさん励まされたことは確か
ケンチャンは昨日
朝の7時半に自転車で家を出て
夜の7時半に疲れ果てて帰ってきた
そんなつもりはなかったそうだけど
結果246km走ったんだと
私が栗を拾いに行ったら
栗の木の下に
野うさぎの頭がちょん切れて
落ちていたのも知らず
先日罠にかかった対のイノシシの片割れが
恨みからとうとう肉食化したのかと
不気味で震え上がっていたのも知らず
友達にそれを話したら
それはきっとキツネだと教えてくれて
納得して安心したのも知らず
友達の助言で
埋めてあげようかと今日も見に行ったら
すっぽりと虫に包まれて
朽ちようとしていた
それはそれでなかなかの光景で近寄れず
もう少し経過してから
土をかけてあげることにした
近くの木の実が落ちて
芽が出て スクスク
大きくなることを許された杉
モミジの木よりはるかに背が高くなって
不思議な立ち位置で立ちはだかっている
ここまで大きくなるまで
誰も切らなかったことが不思議になる
きっと誰の計算も働いていない
自然に育った木だから
なぜかそこに立っているのも自然で
歴代の住人に違和感を
感じさせなかったのかもしれない
実際自分達も
あまり気に留めていなかったし
今では大きくなり過ぎて
そこにある不思議さが前面に
木も人間関係みたいに
違和感が小さいうちに
早く気づいて切るのはお互いのため
大きくなってしまったら
がんばって切る方法を探るも良し
蝉が鳴いている
蝉の声が聞こえなくなる日について
これまで半世紀 夏を通り過ぎてきて
全く意識をしたことがなかった
いつもいつの間にか秋になって
あれだけ聞いた蝉の声も
蝉の存在すらも忘れている
少し前からコオロギが
鳴き始めたのは知っている
蝉と一緒に鳴いているのを聞けるのは
あとどれくらいなのだろう
季節の変わり目は意外と短いから
久しぶりの山の寒さが
すぐそこまで迫ってきている気配を
コオロギの声が助長する
今年はたくさんなった栗
台風でたくさん落ちるかな
風も吹いていないのに
もう落ちているくらいだから
台風は怖い
家ごと飛んでいきそうで
耳栓して寝るにも落ち着かない
海の上だけで いっくらでも ご自由に
猛威を振るってくれたら良いのに
虫? 鳥?
何かが飛んでいる
朝から晩まで
虫と鳥の声が聞こえている
動物の声も聞こえた
イノシシが罠にかかった声
罠をかけた猟師の友達が
精肉業をしている人を連れてきて
その人の手で血抜きされた
ちょうど私は用事で出かけていて
騒ぐ音も苦しむ声も
聞かぬままに終わっていた
牡丹鍋の季節でもないし
捕まえてもおいしくないし
値打ちもないと聞いていたけど
プロの手にかかっては
熟成されて活かされるそう
イノシシはただ生きて
食べ物を探し歩いているだけ
殺されるのは人間の都合でしかない
おいしく食べてもらったって
人間の都合
でも ただ殺すのではなく
せめておいしく と思う
私はやっぱりにんげんだもの
雨が降る頃合いに合わせて
種を蒔く
空を見上げて待っていても
予報通りには降ってこないので
もうひと畝耕すことに
ごろごろの塊だらけの土
指先で細かく砕きながら
みずみずしいカブや大根が
このごろごろや小石の固さに接しながら
どんな風に大きくなるのかを想像すると
できる限りの事はしようと思う反面
果てしないごろごろさに途方に暮れる
麦わら帽子にポツリと
雨が当たる音がした
種を蒔き終わり
しばらくすると
ジョウロで注ぐのと同じくらいであろう
土砂降りの雨が降ってきた
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合なことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
「倚りかからず」茨木のりこ より引用
私はまだながく生きていないし
全然いろいろ倚りかかるんだけど
そう言いたくなる気持ちもわかるよ
今日はのりこさんに倚りかかり気味
頭の中に
まあるいお月さんが占領してきて
考える余白もなく
言葉も浮かんでこない
何もしないまま夜になった
ずっと雨に待たされていたような
篠山で一番始めにできた友達が
篠山を離れたこと
なんとも言えない気持ちだけど
自分の気持ちは横に置いて
その友達が「良いことしかない」と一言
言ったこと 同じように感じていたい
同じような一言を
昔言ってくれた人がいて
その人も今も私に影響し続けている
もちろん楽しいことばかりではなく
辛いことと向き合っていても
全部自分にとって良いことなんだと
そろそろ新居に着いたかな
新しい門出
穏やかに秋を楽しめますように