2019年3月31日日曜日

3月31日




今日は西からたくさんのやさしさが届き
自分がやさしさを忘れていたことに気づく

というか
やさしさが湧いてこなくなっていた

みんなのおかげで少し
やさしさを充電できた気がする



春は芽吹きで
いろんな症状も吹き出てくるから
父も私も吹き出まくっている

こんなときは無理をせずに
少し距離を置くことにしてみる

トゲトゲが近づき合っても
痛いだけ



久しぶりに
大好きなチョコミントのアイスを食べた

なんかおなかがスースーして落ち着かない

世の中もそんな感じなのかな


2019年3月29日金曜日

3月29日




急に寒くなって
不調を訴えまくる父

確かに辛いのだと思うけど
もう不調の訴えを聞きすぎていて
またか と笑いたくなる

狼少年みたいになっちゃうよ
と言ってるのだけど
そんなつもりもないのだろう


父の言うことをそのまま受け取ってると
矛盾だらけでこころが掻き乱される

本人はそのときそのとき感じることを
ただ口にしているだけなので
矛盾が生じていることなんて
全く気づいていないのだから
こちらもそのまま受け取らないようにしないと
イライラしたり 傷ついたりして
必要のないストレスをためることになる

それでもなかなか
そのまま受け取らない というのが
難しくてダメージを受ける

これができるようになったら
誰に対しても寛容になれるのだろうな
すごい修行だな と思う


「今日はごはん 食べれないと思うよ」
と聞かされて
何度もりもり食べる姿を見てきたことか

もう「食べれない」なんて
言わなければいいのに
と思うけど
食べ始めるまで
「食べれない」と思ってしまうのは
ほんとうの気持ちだろうし
「食べれない」と言って
自分の不調を訴えたい気持ちも
わからないこともない

かと言って
ほんとうに食べれない日もあるから
どうせ食べれるだろ とたくさん出すと
まるまる残されてしまうときもあって切ない

食べ物以外にも
そういうことがたくさんあって
もうツッコミを入れるのも疲れた
私はボケの方が得意なんだから



天気予報士になったら
メンタル強くなるのだろうな

どうやったって 予報通りの日もあれば
そうでない日もある

それでも全国民に
発表しなければならない

ときには予報が外れて
ブーブー言われても
申し訳ないなんて言わず
どうどうとしていたら良いのだと思うし

メンタル強くなりたいな


2019年3月25日月曜日

3月25日




ぼさぼさぐちゃぐちゃの
猫の額ほどの庭に
今年の春はたくさん花が咲いている

去年の秋に
庭の手入れをしてもらったから
種がまんべんなく撒き散らされたかな



先日古い友達に会ってきた

同い年のいとこと
その友達と
とても若い頃 よく遊んだ

こころに思うことを
全て口に出し
欲望のままに行動していた

それが当たり前に育ったので
湘南から外に出てみると
外では多くの人が
そんな風に生きていないことを知った

世代でも全然違かった
生きてきた時代が違うのだった

いろんな土地で
いろんな世代と関わったことで
自然と私の価値観は変わっていった


久しぶりに3人で会ったら
タイムスリップして
とても若かった頃のままに
思うままに全てを口に出す

まるであの頃と
全然変わってないかのようだったけど
今はまあまあ若い くらいなので
発言に拍車がかかり
あれが言えるのは
やっぱりもうそんなに若くない
からこそなのかなあと思う

久しぶりの私には
少々衝撃的ではあったけど
あの場はお互いの全てを受け流す空間
だったんだなあと
後から希少価値を感じて
友達っていいなと思った


2019年3月22日金曜日

3月22日




今日の父は完璧


昨日の夜中までうろうろして
ケンチャンにコーヒー淹れてもらって
幻視のお客さんの接待までして
ほとんど寝てなくて
疲れていたにも関わらず

朝ごはんを食べた後
2週間ぶりにお風呂に入り
そのまま寝てしまうかと思ったら
お昼も食欲があると言って
しっかり食べて

そのまま寝てしまうかと思ったら
床屋さんに行くと言い出して
伸び放題の髪も髭も
3ヶ月ぶりにサッパリ10歳若返り

もうそのまま寝てしまうかと思ったら
パジャマに着替えて
夜ごはんもギリギリ食べれて

さすがに寝てしまうかと思ったら
歯も磨いて
トイレにも行って
美しく一日を終えた


美しく終えたのだから
早く寝てほしいのだけど
なかなか寝れないみたいで
まだ暗闇で誰かとしゃべってるけど

明日は正反対の一日になりそう


2019年3月21日木曜日

3月21日




月曜日
久しぶりに晴れてる海に行った


今日は木曜日
雨が降ったり曇ったり
強風が吹いたと思ったら
お陽さまが差して

久しぶりに父も
うろうろと歩き回る

クッションに英語で話しかける
今日はイギリス人のお客さんだそう


出かけなきゃいけないと
着替えようとするので
お風呂に入ってからだよ!
と言ったら
出かけなくて良いように
クッションに一生懸命説得していた

説得が効いたようで
家にいて良いことになったようだけど
ずっと家の中を
うろうろと歩き回っている

ごはんもろくに食べないし
夜にはくたくただろうな


また晴れ間が差してきたし
ちょっと外に出てきたら
気が済むのかもしれない

去年の今頃は
父が外に出てしまうのが怖くて
そしてめんどくさくて仕方がなかったけど
父は今のところ大丈夫 と
根拠のない自信がついているから不思議

あ そう書いた途端に
自信がなくなるのも不思議


2019年3月17日日曜日

3月17日




山にいた頃は
ゆっくり鏡を見る時間もなく
鎌倉に帰ってきて
ようく自分の顔を見てみると
点々だらけで
すごいことになっている

正確には
ようく鏡を見たのなんて
中学生以来くらいかもしれない

自分の顔なんて
ようく覗き込んでこなかったから
人の顔もよく見ていなかった

自分の顔のすごさと
人とを比べたことなどなかった


もう手遅れなので
受け入れる方向しか選択肢にない

国が違えば
なんてことはない
顔の模様みたいなもの



父は相手の気持ちなんて考えずに
そのとき思ったことを口に出すと
いちいち私が傷ついて
わんわんとうるさいので
困ってると思う

本人は傷つけるつもりも
意地悪言ってるつもりもないのだから

最近私はなんでもかんでも
気にくわないこと言われると
全部父のせいにしたくなる病気にかかっている

父が生きてる限り
娘はずっと甘えん坊なのだと
今日のところは
開き直ることにする


2019年3月15日金曜日

3月15日




父の寝床がまた代わり
リビングの隣の
元々母が寝ていた部屋になった

これで三部屋目


一部屋目は電車のホームになっているようで
寝てるといろんな場所に連れていかれるので
疲れるから嫌だ と移動

二部屋目は虫とホコリの幻視がすごいらしく
気持ち悪くて寝てられない と移動

三部屋目は長続きしてくれるといいな


父の新しい部屋は
リビングの音が筒抜けなので
父が寝てるときは
あまり音を立てないように
気をつけてるのだけど
ケンチャンは鉄筋コンクリートの
それもドアもあまりない家で育ったので
音に気をつける習慣がなかったようで

その上ケンチャンは響く声でもあり
そして父がいることを忘れてしまうようで
なかなかのボリュームで
「スミマセーン!」とか言うので
父には私の声は聞こえず
ケンチャンがひとりでしゃべってると
勘違いするんじゃないかな
と想像すると
ひとりで声を殺して笑ってしまう


まあ だいぶ耳が遠くなってるから
あんまり聞こえてないのだとも思う


2019年3月12日火曜日

3月12日




とある日
これからお菓子とコーヒーのお店を始める友達が
ケンチャンにコーヒーの淹れ方を
教わりに来た

ちょうどコーヒー豆の
販売のお仕事をしてる友達も来て
みんなでわいわいコーヒーセッション


友達はすごくまろやかな
やさしいコーヒーを淹れていた
人柄が注入されている

奥さんが作る米粉のお菓子も
米粉もここまで進んだか
と感心する満足感
近くだったら通っちゃうだろうな


お店が始まるのがとっても楽しみ

たくさんの人たちに
愛されるお店になるのが目に浮かぶ


2019年3月9日土曜日

3月9日




早咲きの桜が満開

ケンチャンが描かされた→🌸


うちの家族はみんな
不思議なくらいにケンチャンに協力的だ

昨日もご機嫌だった父は
「ケンクンは真面目で 一番優秀」
と私に言ってきた

多分部下か何かだと
思っている口ぶりだったけど



今日の父は突然
江戸時代の厳しいお父さんに変身

私がソファに足を組んで座っていると
「姿勢を正して座りなさい」
と言ってきてたり

オラ お風呂に入ってくるだ!
と言ったら
「言葉遣いが野蛮だ」
とか
口うるさく言ってきて
父にそんなこと言われたことがない私は
キョトンとする

反論すると
江戸時代はああだった こうだった と
いつもと違う強気っぷりで言い返してくる


どうやら幻視のお客さんがいたようで
威厳を示したかったようだけど
私に三倍返しされて終了

もうすぐ新しい時代が始まるのだよ


2019年3月8日金曜日

3月8日




朝 父の様子を見に行くと父が言った
「昨日は半分外で寝てたんだよ〜」と

実際にはベッドでヌクヌク寝てるのに
気持ちは路上にいたのか〜
なんともしんどそうな妄想だ


昼寝をしてても
苦しそうにうなってる

レビーの人が見る夢は
基本的に悪夢だとテレビで言っていた

幻視モードの日は
幻視を見てる目が半分開いてても
つむって眠っていても
なにか恐ろしいものを見ているようで
般若みたいな顔になる


「熱っぽいから 体温計ちょうだい」
測ってみると全然熱がない

「癌になっちゃった」
「手術した」
「口の中が穴だらけ」

ちょっとしんどそうな顔するけど
自分で言いながら
吹き出し笑いしたりする

父が笑ってるから
こっちも無慈悲に笑ってしまう

はたから見たら
冷酷極まりないと思われるかもなー
と思いながら
父の言うことが突拍子なくて面白くて
父とケンチャンと3人で
笑っちゃうようになってきた

全然不幸な感じじゃなくなってきた


2019年3月6日水曜日

3月6日




雨ばかりでどんよりしてて
散歩に出る気にもなれなくて

でも3月は雨ばかりなのなら
雨が降ってないときには散歩に出ておかないと
全然外に出ないことになりそうなので
自分の怠け心をどうにか横に置き
外に出ると今時期は
小さな花たちと目が合う

目が合った途端に
かわいいな
とこころが笑う

癒されるって
こういう感じか
と思う




ただ聴いているだけで
感動する音楽がある

ほんとうはただ聴いてるだけじゃなくて
山のような想い入れがあるのだけど

耳に入ってきた途端に
というより
皮膚から染み込んでくる感じで
こころまで染み込んで
自然と涙がたくさん出てくる


聴き終わると
余韻で満たされて
それも通り過ぎると
じんわり幸せな気持ちが湧いてくる

これも癒されているからだと思う



2019年3月3日日曜日

3月3日




これから毎年 この春の始まりに
いろんな気持ちが巡るのだろうか

そういう想いの集結する時期が
春なのがそれらしくて



母の写真は
またたくさんのお花に囲まれて
なんだかうれしそうに見えるけど

最近はもう
お線香もあげていなかった

弟の子供達がぐちゃぐちゃにするので
片付けたりまた出したりするのが
めんどくさかったから

写真ももう
どこかに片付けてしまおうかと思ったり

「写真には
おばあちゃんはいないでしょう」
って姪が言うので
すごいなあと思ったり



母は誰にとっても
こちらの思い通りに
いくらでもどこにでもいてくれるから

いろんなところでいろんなひとが
母を想ってくれてるから
私がいつも拝んでなくても大丈夫

母はそんなことは気にせずに
新しい人生を始めているのか
それとももうどこにもいないのか
ほんとうのことはほんとうにわからない


今生きてるものたちが
好きなように想ったら良いのだ

父だってしょっちゅう母に会っていて
全然寂しくなさそうなのだから

みんな自分の好きなように
自分で選んだ景色を見ているのと同じこと


2019年3月1日金曜日

3月1日




父の好きなものが
ずらりと並んだ朝ごはん

これに搾りたて野菜ジュースと
玄米粉のパンを食べて完了



今日は父の喜寿の誕生日

朝起きてきたので
いくつになったの?と聞いたら
77歳!と即答していた

ほとんど寝ていたけど
ケーキが食べたいがために
がんばってごはんも食べた

ケーキのろうそくを吹き消す顔は
認知症ではなく
ふつうの父の顔だった


ふつうの父と
ひっそりと
いつも通りの一日を過ごした

寝てばかりだし
お風呂も全然入ってくれないけど
おやつのために
がんばってごはんを食べる
子供のようになってしまった父だけど
私にとっては
それでも充分ふつうの父なんだ