2018年3月31日土曜日

3月31日



昨日とうとう父は
専門のお医者さんにかかってくれた

ちょっとぐずったけど
自分から行く気になってくれた


先生は  娘さんは黙ってて  と言って
まずは父からじっくり話しを聞いてくれた

父はそれだけで
随分からだが楽になったと言った


帰りはケンチャンと3人で
桜を見て帰った

満開の桜を
3人で見れるとは思ってなかったので
ご褒美みたいだった


家に帰る頃には
父は疲れてしまっていたけど
やっぱり先生に出会えたことは
良かったことだと振り返っていた

今日から治療が始まる


2018年3月29日木曜日

3月29日



私は15年間
地元を離れ
好き勝手やっていたにもかかわらず
戻って来た私を
あったかーくまた受け入れてくれる友達が
本当にありがたい

こころの中で
いつもくだらない不満を抱えている自分としては
みんなは尊敬するに等しい


お父さんやお母さんになった人の
抱擁力に圧倒されて
親ってやっぱりすごいなと思ったり

ひとりでがんばってる人が
ゴールを見つけて前に進もうとする力も目覚ましい


変わらず一緒に笑えるけど
それぞれしっかりとここで
積み重ねてきたものがある

私もまたここで
見えてくる景色や
通り過ぎていく粒子や
温度や感触や
ここならではの思想を
感じて身につけて
いつかまた山に帰るときに
村の人達と静かに共有できたらいい



ご機嫌だった父は一転してここ数日
何を言っても不満で返してくるチャンネルに切り替わった

こういう時は
私は父の子なのだと痛感する

父が何を言ってきても
平気でいられるようになったら
誰に何を言われても大丈夫な強さが備わる  と
信じて今日も  こころの筋トレをがんばる


2018年3月27日火曜日

3月27日



母の遺影は10年くらい前の写真なので
お線香をあげに来てくださる人達はみんな
若い!いつの写真!?となる

最近の写真は
老眼鏡をかけているものばかりで
母らしくないと
父が却下したのが大きな理由

いとこの結婚式の時のもので
お化粧もしていたし
なかなか美人に写ってる


父は時々しか居間に降りて来れないので
3日ぶりくらいに遺影を見て
何やらごちゃごちゃ話しかけていた

どうやら  高校生のときと
同じ顔をしている  とのこと

高校を卒業して
上京するまでの間に
ふたりで行った善光寺での出来事を
うれしそうに話してくれた


十代でデートに善光寺とは

うちの村のおじいちゃん達のデートは
栗畑だったって言ってたのを思い出した

かわいいな




母が亡くなって
今日で1ヶ月

まだ1ヶ月
最近時間が経つのが遅いなあ


3月26日



朝からご機嫌な父

時々やって来る元気な日は
ポジティブな言葉がたくさん出てくる

今日は庭に出て「最高!」を連発
春の陽気で気持ち良い

お昼は麻婆豆腐だよーと言ったら
いいね〜  なんて言う

母の残した相続金の
ゼロをひとつ読み間違えてたことがわかり
ごめんね〜と言ったら笑ってた

わかったのが今日で良かった!



今日は群馬に住むパン教室の生徒さんが
用事でこちらに来ていて
シュトレンを渡したいと連絡をくれたので
鎌倉山をお花見ドライブした

春のシュトレン
とってもおいしかったな

かわいいお子さん3人も連れて
ちょっと移動するだけでもたーいへんなのに
気持ちがとてもうれしい


ちょうど数日前に荷物の整理で
いただいた年賀状を読み返していて
赤ちゃんを抱っこして
パン教室に参加してくれていたことを思い出して
大きくなったな〜〜と思っていたところだった

習うより食べろな人ばかりの私のパン教室で
習ったシュトレンをすぐにおさらいして
食べさせてくれた唯一の生徒さんだった

みんなでパンの成形しながら
美穂さんのやり方は  難しいですよ〜〜
なんて言ってくる純粋なかわいさが
こころにずっと残ってた

一緒に桜が見れて
とてもうれしかった


2018年3月24日土曜日

3月24日



ここのところ  弟家族も含め
お客さんが続くと
みんな何かしらのお土産を持ってきてくれて
お土産好きとしては
とてもうれしい

おいしいものは大好きだけど
物に限らず  考え方とか
それはメールや
お便りなどでも
いろいろ受け取るものがある


山の家は自然がいっぱいで
静けさの中にいながら
こころもからだもせかせかと
慌ただしく生活していた

パン職人として
お店屋さんの店員として
そして村人として
ものすごく慌ただしく
受け取ったものを
ゆっくり味わう時間がなかったように思う

噛まずに喉に流し込むように
おなかだけ膨らまして
吸収したような気になって

それでも栄養になっていたけど
どんな味だったかは心に残らず
おいしかったよー  しか言えない
みたいな


今  私の生活は  とてもシンプルになり
ごはんを作る時間が来るのを待つような日々で
違う味を味わえることがチャンスとして
とても新鮮にこころに染み込んでくる

きっと前にも味わったことがあるかもしれないけど
今はゆっくり噛んで
脳に伝達させて
記憶に刻み込んで
飲み込むだけの時間がある

みんないろんなお土産を届けてくれるから
様々なその時間がとてもありがたい

そしてそれが  様々なようで
なかなか共通した
自分好みの味であることもありがたい


これからどうなっていくのかな
と思うとき
自分が何をしたいのか
と考えるとき
どちらも今の私が生きる状況は
先が見えて来なすぎて
不安に思ったときもあったけど

いろんなお土産を食べていたら
味の向こう側が見えてきた

何者でもない者になる

目指す頂点が見えたら
足が軽くなった


2018年3月21日水曜日

3月21日



昨日は友達が
母にお花を持って来てくれた

野に咲くお花のように
慎ましく華やかに生きる人

おいしいお菓子を作ってきてくれて
父にあげたら  喜んで食べていた

お菓子が好きな父に
私も自分で作ったものを
食べてもらったら良いんだなと思った


お花をいただくと
枯れていくので
きれいなのを残して
活け直すのが楽しかったり

少しずつ創作意欲が湧いてくる

そういう意欲を
お花みたいに活動してる親しい人達のように
私もいつか  活用していけたらいいなと思った



そして昨日
ケンチャンが帰ってきた

夜に出て  下道を休み休み
途中で車が止まっちゃったり
ケンチャンらしい感じで帰ってきた


創作  といえばケンチャン

ケンチャンも発揮できる春になればいいな


2018年3月18日日曜日

3月18日



庭の水仙の花が咲いた

父が見つけて
「水仙が咲いたよ〜」と
母の写真に向かって
嬉しそうに笑って言った


父が元気な日は居間にいて
いつも母の写真と向かい合って
ごはんを食べたり
お茶を飲んだり

父の椅子からはいつも
母の写真が見える


父は全然淋しくなさそうだ

よくしゃべるから
また生まれ変わっても
周りの人としゃべってるでしょ
と言った

四十九日まで  うちにいると思う?
と聞いたら
もういないと思う
と言った

私ももういないと思う

どこに行ったのかは
全くわからないけど
どこかでしゃべりながら産まれてきた赤ちゃんがいたら
うちの母かもしれない



先程
弟の3人目(6人目)の赤ちゃんが産まれた

元気な男の子

しゃべってはいなかったみたい


2018年3月17日土曜日

3月17日



一昨日めちゃめちゃ元気だった父

いつものように
夕方から疲れてきて
夜ごはんが食べれなくなる

いつものパターンで昨日は
丸一日眠り続けた


珍しく  いびきをぐーぐーかいて
午前中に5回  部屋をのぞいたけど
いつまでたっても起きず
2時頃にようやっと起きてくれて
軽くごはんを食べて
そのまままた今朝まで眠り続けた


からだが楽だと
良い気分なんだろうな

いつもやりたくてもできないことを
ここぞとばかりにやろうとしちゃうんだろうな

喉も苦しくなくて
気兼ねなく食べれるんだろうな

外の空気も気持ち良く感じられて
もっともっとと散歩の距離を
伸ばしてしまうんだろうな

もっと元気になろうと
自分にとって良いと思うことを
せっせとやろうとするんだろうな


そうやって  やることなすこと全部が
父を疲れさせてしまうんだろうな

からだが楽で喜んだ分
動けなくなる自分に
がっかりしてしまうんだろうな



そうは言ってもそんな日々でもう3ヶ月
大分サイクルがわかってきた

元気な日は  父と顔を合わせて
明日は寝込むかね〜〜  なんて
言えるようになってきた

そろそろジョークになってほしいけど

桜はまだかいな


2018年3月16日金曜日

3月16日



ケンチャンは
身の回りのもの全て片付けて
いつ帰ってくるかも
帰ってくるかさえもわからない
と言って出ていってしまったので
とてもこわかった

母が亡くなり
父が病気でも
どんなに辛くても
関わってくれる人に対する思いやりを
忘れてはいけないことを知った


私は不幸を盾に
感情を赴くままに振りかざしていた

感情的にならないように  大人しくしてても
静かに感情に流されていたんだな


反省しつつ
未来を思うとこわかった
一生懸命前を向こうと必死になっていたら
ケンチャンから電話があって
来週には帰ってきてくれると言った

ツッコミ入れたい気持ちもありつつ
はあ〜  良かった!

しっかり休憩してきてね




昨日の父は
寝不足だから余計なのか
それとも私を気遣ってか
朝から元気で
久しぶりにもかかわらず
2回も散歩に行き
超久しぶりにビールを飲んで
ごはんもしっかり食べて
母にお線香を上げに来てくださった方と
お話も楽しんだ

父はその方に
「健康が一番大事」
と言った

父はまだまだ生きると思う

本当の健康を
取り戻してほしいと
こころから願う

今は父とふたりの時間を
ゆっくり楽しもうと思った


2018年3月15日木曜日

3月15日



母が亡くなって  2週間が経った

ここまで来るのに
すごく寂しい日があって
ケンチャンに慰めてもらいながら
きっとケンチャンがいなくなったら
同じくらい寂しいんだろうなって思ったりしてた

そんなケンチャンが突然
山に帰ってしまった


我が家の荒波にもまれ
ケンチャンのコップの水は
溢れる寸前だったようで
最後に私が軽率に溢れさせてしまった

ケンチャンには
たくさん辛い思いをさせてしまったので
留まってもらう理由などなかった

一番大変な時に
側にいてくれて  がんばってくれた


これからどうなるのか
ますます暗黒の中だけど
なんとしてでも乗り切るしかない

昨日は父も私も眠れなくて
ふたりで早朝から朝ごはん

辛くても笑っていてくれる父とふたり
楽しくやっていくしかないな


2018年3月12日月曜日

3月12日



昨日は大勢の懐かしい友達に会った

地元のみんながお世話になった方の
お通夜だった

日本中から
すごくたくさんの人達が集まった


人が亡くなると
その人を介して
必ず再会があるんだな

母のことでも
懐かしい再会がたくさんあって

改めて亡くなった人を知ることになり
再会する人を知ることになる


母はからだか動かなくなって
「私は役立たずだ」と言ったので
生きてるだけで役に立ってるよって言ったら
嬉しそうに笑ったけど

母の古い友人と再会したり
私の古い友人と再会して
母との関わりの話を聞いて
母はすごく人のためになろうとしていたことを知った

私はそんな母を
誇りに思う


石田さんの小さなボクも
お父さんのために
あれだけの人達が集まったこと
誇りに思ってくれたらいいな


2018年3月9日金曜日

3月9日



お天気と一緒で
こころもからだも
グズグズ言い始めた

そりゃそうだ
そんな日もあっていい


今日も父が元気で救われる

ケンチャンも体調を崩しているけど
少しずつ回復してきてるようだ


これから3人での生活
どうなっていくのだろう

ひとまず母の四十九日はやらないと
父が言っているけど
お墓のある長野に
行けたらいいな


どこでもいいから
自然がいっぱいのところに行きたい

父は故郷の自然から
受け取るものがあったらいい

ケンチャンと私は
馬曲温泉でチャージするべきだな


2018年3月6日火曜日

3月6日



母がいなくなってしまって
父はどうしているかというと
意外と元気で  ごはんも食べれている

こちらを気遣って
声をかけてくれたりもする

多くを語らないし
自分のことで精一杯なので
本当の気持ちはわからないけど
結構落ち着いているので
ホッとしている


母が12月に倒れてから亡くなるまでの
2ヶ月半という期間は
家族にとって
こころや身辺の準備をするのに
充分な時間となった

本当のところ母はきっと
まだまだリハビリを続けていって
父との生活を再開させたかったのだろうけど

離れて暮らす日々は
父の寂しさをゆっくりと和らげていったのだろうし
母ががんばってくれたことで  最後に会えたし


そう  結果として母は2ヶ月半
家族のためにがんばって生きてくれていたことになる

勝手な捉え方だけど  そう思うと
やっぱり母はさすがやなあ  となる


2018年3月3日土曜日

3月3日



今日は小さな小さな
母のお葬式

ぽかぽかあったかく
お花もちらほら咲き出す中
お花に埋もれるようにして
母の妹のおばちゃんは  望み通りだね  と
母に話しかけていた


大人になってから
初めて会った母の兄は
やっぱり母の兄のような人で
母がいるようで
会えてうれしかった


家族だけだったので
準備も気楽で
母の顔を見たり
ぼーっとしながら
思いつくことだけのんびりやった


父は最初から最後まで
部屋から出て来れなかったけど
全てが終わると  ホッとしたようで
居間に降りて来て
みんなで余ったお弁当を食べた


なんだかんだ言っても
終わった後は弟もケンチャンも私も
泥のようだったけど
落ち着いてきたら元気が出てきて
いただいたお菓子を食べながら
お茶を飲み飲みお疲れさま会


何かが軽くなった

いや  でもやっぱり淋しいな




徒然なるままに
とりとめもなく


2018年3月1日木曜日

3月1日



今日は父の誕生日

母はいつものせっかちで
父の誕生日を祝わないまま
痛いところと動かないところだらけの肉体を離れ
完全に解放されて
自由になった


ちゃんと前日に
総合病院での受診の帰りの
介護タクシーに寄り道してもらって
父を大きな声で励まし
ケンチャンとお世話になったご近所さんに
しっかりお礼を言って
数日前にも弟と一日を過ごし
妹のおばちゃんや近しい人達とたっぷりと話し込み
看護師さんやリハビリの方や 
担当の先生にも愛嬌振りまいて
私には倒れてからの2ヶ月半
毎日溢れ出るように
たくさんの愛情を注いでくれた


きっと母に悔いがなかったように
残された人達にも
悔いが残らないようにしてくれた

母が解放されたことを
父も含め  周りの人達が
こころから良かったねと
思えるようにしてくれた

まだあったかくてやわらかい母に
たくさん良かったねと
言わせてくれた

さすが  おかあちゃん  やるなあ!
の一言に尽きる



突然のことで
淋しさはこれからじわじわと
やってくるのだろうけど

長い間苦しんで
早く解放されたいと望んでいた母
今は母の解放の喜びを思うと
共に喜ぶことの方が
ずっと優勢になる


あとは任された父を
最後までしっかりと見ていこう

今日は一日
ずっと父のことを想っていよう