父の習慣
1日ひとつ 良かったことを書く
どうにか三日坊主にならなくて済み
今日で4日目
毎日 ごはんが食べれて良かった
と書いている
全然食べれなかった日は
ごはんが少し食べれて良かった
たくさん食べれた日は
たくさん食べれて良かった と
ごはんが食べれることは
本当にうれしいことだと思う
これを書くことにした日
父は小さな字でずらずらと
自分の想いを書いていた
なんて書いてあるか読めないし
本人も自分が書いた字を読めないみたいだし
説明してもらっても
全然理解ができなかったけど
ひとつだけ読めたのは
久しぶりにお風呂に入ることが
こんなに気持ち良いなんて
お風呂に入れない人でないとわからないだろう
と書いてあったこと
ほとんど寝たきりで
やっと起きれた日は幻視の世界で
まともに日常生活が送れない父の気持ちを
どれだけわかってあげられてるのかな
一緒に苦しむことは
恐れることじゃないと
看取るお仕事の人の本に書いてあった
ちゃんと苦しみの向こうに
共感を経た上での喜びがあるんだと
それを読んでから
苦しみに引っ張られるのと
どれだけ苦しいのか理解しようとすることとは
違うのだということがわかったら
怖くなくなって
引っ張られなくなった
父と楽しくやっていくのに大事なことは
どれだけ気持ちを理解できるか
なのかな と思うこの頃だ
今日は珍しく
父が母の話をし出した
父が母のことを考えてることを知れたのは
今日の私の良かったこと
でも最近多発している
私のことを「おかあさん」と
呼び間違えるのはご勘弁だな
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